咀嚼と脳内神経ヒスタミンと日本食のすごい連携効果

──生活習慣病予防は咀嚼から──

大分大学医学部総合第一内科助教授 千葉政一先生

「咀嚼」と、「脳内(神経)ヒスタミン」と、「日本食」

 近年、咀嚼の健康効果、生活習慣病予防効果が次々に明らかになり(表1)、改めて昔からいわれている“よく噛む”ことの大切さが注目されています。
 その中で、食欲抑制をはじめとするメタボの予防には、脳内の「神経ヒスタミン(視床下部神経ヒスタミン)」が大きな役割を果たしていることが、坂田利家・大分医科大学名誉教授によって明らかにされました。
 時間をかけてよく噛むと、脳内の神経ヒスタミンの量が増え、脳内ヒスタミンは満腹中枢や交感神経を刺激して食欲を抑えたり、脂肪の代謝を促進したり、消費エネルギーを増やしたりすることで、生活習慣病予防に大きな役割を果たしているのです。
 一方で、神経ヒスタミンは咀嚼の他にも、背の青い魚や赤身魚に多いヒスチジンという必須アミノ酸の摂取によっても増えることがわかっています。
 千葉政一先生は、大分医科大学時代に坂田先生のもとで「神経ヒスタミン」について研究され、現在は大分大学医学部で神経ヒスタミンの基礎研究を続けながら、臨床では生活習慣病をご専門に、グラフ化体重日記の内科的疾患への応用、野菜と魚の摂取が及ぼす医学的効果などの研究を進められています。
 “よく噛める”ことを含めて、栄養学的にも野菜・魚食の日本食を生活習慣病予防食として高く評価されている千葉政一先生に、“咀嚼と脳内神経ヒスタミンと日本食の連携効果”について、お話をうかがいました。

 食欲と脳の機能・  咀嚼とヒスタミン神経系  食欲の調節  ──わかっちゃいるけど     やめられないのは

──満腹なのについつい食べ過ぎてしまうのが人間ですね。
千葉 ヒトの食行動は、摂食を促進する摂食中枢や、摂食を抑制する満腹中枢がある視床下部の食行動調節神経ネットワークによって制御されています(図1参照)。
 食行動の調節には、
@代謝産物やホルモン情報、肝臓や消化管からの神経情報等による代謝性調節機構と、
A食物の認知、報酬、記憶や情動
等による認知性調節機構があります(図1)。
 食欲が、@の代謝性調節──例えば食欲抑制に働くインスリンやレプチンが満腹中枢に入ると食欲が止むといった調節だけで行われれば食べ過ぎなどの問題は起きにくいのですが、人の場合、Aの認知性調節──例えば美味しそうだとか、あるいはストレスだとか、そうした高次機能の脳情報が視床下部に入力されることによる認知性調節が大きく、これが食べ過ぎや肥満、あるいは拒食症などの問題を引き起こすのです。
 現代は、美味しい食べものや、またその情報にあふれ、さらにストレスも多く、食べ過ぎや肥満症、拒食症や過食症などの問題が起きやすい状況にあります。

 咀嚼と食欲コントロールと    脳内の神経ヒスタミン

──よく噛むと満腹中枢が刺激されて食欲がおさまるといわれます。そのメカニズムには、神経ヒスタミンが強くかかわっているそうですね。
千葉 食べものを咀嚼すると、歯根膜と咬筋(ものを噛む筋肉)の刺激が三叉神経から中脳にある咀嚼中枢に伝わり、さらに間脳にある視床下部の満腹中枢に入り、満腹感が刺激されて食欲が抑えられます(図4)。
 よく噛むと、視床下部神経ヒスタミンが増え、それが満腹中枢に働いて食欲を抑制してくれることは、20年ほど前に坂田先生(坂田利家・大分医科大学名誉教授)によって発見されました。
 坂田先生は、肥満の人には荒噛みや早食いが多いという統計から、ラットを使って餌の硬さによる実験をしたところ、硬い餌群は普通食や柔らかい餌群に比べ、食べる量も速度も大きくダウンしました(図2)。さらに、満腹中枢のヒスタミンを枯渇させると、食事の量が増えることも確認されました(図3)。
 ヒスタミン神経系は、咀嚼によって咀嚼中枢で活性されると、その興奮は視床下部に伝達されて神経ヒスタミンを量産し、量産された神経ヒスタミンは脳全体に伝達され、中でも満腹中枢には神経ヒスタミンの受容体が多くあるために、満腹感を増強することを突き止められたのです(図4)。
 つまり、よく咀嚼すると我慢せずに、自然に食欲を抑えられるというわけです。

 食欲制御だけではない   脳内神経ヒスタミンの        さまざまな働き

千葉 満腹中枢は交感神経の中枢でもあるので、ヒスタミン神経系は食欲制御だけではなく、交感神経を経由してエネルギー消費を促進したり、脂肪燃焼や発熱、睡眠覚醒、記憶・学習能力──などに働きますので、咀嚼によってヒスタミン神経系が活性化すると肥満だけでなく、多くの健康効果がもたらされます(表2)。
〈メタボの予防〉
千葉 よく噛むと食べる量も適正になり、エネルギー代謝が活発になり、脂肪代謝も促進されます。特に神経ヒスタミンは内臓脂肪の分解に働きますので、肥満症だけではなく、糖尿病や高脂血症などの生活習慣病の予防に働きます。
 エネルギー代謝が活発になると、
ヒトなど恒温動物では代謝効率が良くなります。つまり、少ない食事で十分な活動が得られるわけです。逆に、代謝が悪くなると代謝効率が悪くなります。体温が上がらないために体内での酵素活性が十分に進まなくなったり、蛋白質の合成がうまくできなくなったり、体液の流動性の低下などから、糖尿病をはじめとするメタボリックシンドロームやその他の病気のもとになってきます。
 また、発熱や脂肪燃焼を促進する褐色脂肪組織の働きを視床下部の神経ヒスタミンが活性化するので、エネルギー消費を促進します。
 さらに食欲抑制ホルモンのレプチンの働きも潤滑化します。
〈覚醒促進〉
千葉 神経ヒスタミンの作用でよく知られているのが覚醒作用です。睡眠覚醒において重要な役割を果たし、ナルコレプシー(嗜眠症・傾眠症)は神経ヒスタミンが深く関与します。
〈記憶学習能の向上〉
千葉 次に覚醒作用とも関連しますが、記憶力や学習能力の向上です。これにより認知症予防に寄与する可能性も考えられます。
──咀嚼の効用に脳の活性化がいわれますが、それは神経ヒスタミンの作用ということですか。
千葉 ヒスタミンの作用が大きいと思います。
 海外では、認知症の治療や予防にヒスタミンを使うという研究が進んでいるようです。また、アメリカでは多発性硬化症の治療法として神経ヒスタミンを活性化する薬剤の開発が進んでいます。
 つまり、ヒスタミンは脳を元気にする効果があるようです。
 末梢(首から下)のヒスタミン
──ヒスタミンにはすごい力があるのですね。これまで、アレルギー症状を促進したりなど、免疫関連で分泌される炎症物質と思っていました。
千葉 首から下の末梢ではそうなのですが、ヒスタミンはプラナリアという再生能力の非常に高い原始的生物にも存在します。それだけ生物にとっては重要な物質ではないかと考えられます。
 末梢でのヒスタミンは、免疫細胞の肥満細胞をはじめ、肺や肝臓、胃粘膜などで分泌されます。
 最近は痒みなどアレルギー症状を起こすヒスタミンも、むしろ、炎症がひどくならないように炎症を早めに見つけて抑えるために作用している可能性が強く示唆されています。
 もちろん、例えば腐ったサバを食べるとサバのヒスチジンが細菌で分解されてヒスタミンになるという、食べた時点でヒスタミンが大量に生産されるような状態ではやはりアレルギー、蕁麻疹、下痢などが強く起こってきますが。

 神経ヒスタミンを    元気にする生活習慣    規則正しい生活

千葉 脳内のヒスタミンを元気にするには、食事はよく噛み、飽食を控えて節制し、体をよく動かし、規則正しい生活をすることが大切です。具体的には、
@体をよく使う──運動も脳内のヒスタミンを活発にすることが知られています。
A適度に体に刺激を与える──乾布摩擦など古来の健康法も有効。
B腹八分目で、よく噛んで、魚をよく食べる──という食生活がキーポイントになります。
 魚食のススメ

 ──魚はヒスタミンの原料     「ヒスチジン」が豊富

千葉 食事でできる脳内のヒスタミンの鍛え方としては、よく噛むことの他に、ヒスタミンの原料となる「ヒスチジン」の摂取が有効になります。
 ヒスチジンはアミノ酸ですから蛋白質食品に多いわけですが、肉や大豆などと比べて魚にはダントツに多く、中でもカジキ、カツオなどの回遊魚に多く、鰹節などは100g中4400mgと頭抜けて多く含まれています(表3)。
 『甲陽軍鑑』には、屈強で知られた武田軍は携帯食として鰹節を用いていたと記載されています。
 ヒスチジンはβアラニンというアミノ酸と結合するとカルノシンというペプチドを生成して、骨格筋を太くします。日本人はかなり昔から、カルノシンによる筋肉増強作用を体験的に利用していたのかもしれません。
 また、ヒスタミンには抗炎症作用があります。我が家でも祖母からの言い伝えで、風邪をひいたり熱が出たら塩鯖や塩鮭など青魚の回遊魚を食べさせられました。豊富なヒスチジンがヒスタミンとなって炎症反応を抑制したり、発熱反応を起こして風邪などの症状を緩和するためだったからなのですね。
 インフルエンザなど発熱性消耗疾患の制御には発熱反応が重要です。そういう病気に罹った時はヒスタミンの素材としてのヒスチジンを補充してやると、発熱機構が効率よく機能できると思います。
 魚食はヒスタミンに加えDHAやEPAとの相乗効果で、@抗肥満、A抗糖尿病、B高脂血症や動脈硬化の予防、C体力や筋肉の増強、D認知症予防、E発熱性疾患の症状緩和──等につながります。
──ヒスチジンはやはり食物からとった方がいいのですか。
千葉 ヒスタミンの直接投与は非常に危険な上に、脳関門に阻まれて脳には入っていきません。
 ヒスチジンの直接投与も、酵素活性に必須な銅と亜鉛の血中濃度を低下させるおそれがあります。海産物には亜鉛や銅などのミネラルも豊富ですから、ぜひ新鮮なお魚をとって欲しいですね。

 一口30回咀嚼法 ──温故知新と最近の少女漫画

──咀嚼効果は歯のない、つまり歯根膜のない人でもOKですか。
千葉 頬の咬筋からの刺激がありますから大丈夫です。
──貝原益軒の『養生訓』に歯をカチカチ噛む運動を日に34〜36回するとあるそうですが、それでも効果がありますか。
千葉 それでもありますし、また、ガムや昆布を噛むのも効果があります。でも、大切なのは食事でよく噛むことです。
 最近の少女マンガには「よく噛まないと太るよ」とか、普通の少女の日常会話として咀嚼のことがふれられています。よく噛むことで健康になる──そういう古い言い伝えが坂田先生の研究で証明されたことで今新たに、日本人の文化として蘇ったのでしょうね。
──食事の咀嚼回数は30回が理想的なのですか?
千葉 30回程度が続きやすく、ヒスタミン効果も出るということですね。回数を多くしても続かないと意味がありません。
 30回程度で飲み込める量を一口として、一口の数を増やすことが効果を生みます。

魚・野菜豊富な和食のススメ   ──低糖質ダイエットは?

──魚や野菜の多い日本食で、さらに噛み応えのある玄米や分搗米ご飯なら尚良いわけですね。
千葉 最高ですね。炭水化物中心ではやはり、高血糖になるおそれがあります。玄米食は高血糖を抑えるのに非常に効果があるようです。
 さらに、玄米中のアミノ酸を蛋白質として食事療法を行うと、腎不全悪化のスピードが抑えられていくそうです。
──炭水化物はほとんどゼロで良く、肉などは無制限に食べて良いというダイエットはいかがでしょうか。
千葉 低糖質ダイエットとしてアトキンスダイエットがよく知られていますが、虚血性心疾患のリスクが高くなるようです。
 “血中コレステロールが高い方が長生き”という報告もありますが、どういう状態で生存しているかが問題です。コレステロールが高い状態が続きますと、認知症になるリスクが非常に高くなるという報告も多くあります。
 また、赤身の肉はがんのリスクを確実に高めることも多くの研究で報告されています。
 食事はリスクのない形態が望ましく、エビデンスからいうと、低炭水化物の肉中心の献立を長期に続けるのは明らかに害になると考えられます。
 一方、魚で健康を害するエビデンスは重金属や薬物の蓄積によるものが知られていますが、それ以外には、魚食が健康を害するというエビデンスはほとんどなく、蛋白源として肉を選ぶのが賢明か、魚が賢明か、自ずと答が出てくると思います。
──炭水化物のとり過ぎはもちろん問題ですが、全て適量摂取でよく噛んで食べるのがいいのですね。
千葉 そうですね。ただ、スパゲティなどは適量が難しく、パンも咀嚼回数がご飯よりかなり少なくなります。その点、ご飯は量や咀嚼回数が調節しやすいんです。
 日本食ですと魚に加えて、高繊維・低エネルギーの野菜、海藻、きのこもふんだんです。
 健康な方はご飯に魚、野菜の食材を多用した献立を基本に、よく噛んで、味わって食べていただき、噛むことを習慣づけていくと味わいも深まり、食事の満足感が広がってきます。
 そういう意味で、魚も一工夫して子供にも喜ばれるメニューを増やすことも大切だと思います。