キノホルムと、アミロイド蛋白と、アルツハイマー病

摂南大学薬学部 吉岡正則教授

アルツハイマー病を防ぐ糸口

 最近海外では、少量のキノホルム投与が有効であるという報告が動物実験だけでなく、実際にアルツハイマー痴呆の患者さんを対象にした研究でも多数なされています。
 例えばオーストラリアの研究では、平均年齢72・5歳のアルツハイマー病と診断されて平均2・4年経過した患者さん達のうち、既に塩酸ドネペジル(商品名:アリセプト)治療を半年以上受けている中〜重症の患者さん36人を、@キレート剤としてキノホルム(clioquinol)を服用、Aプラセボ薬を服用の2群に分け、36週間の服用後に患者さんの精神症状と同時に脳内のβアミロイド沈着量を調べた研究では、プラセボ群ではβアミロイド量は増加し続けたのに対し、キノホルム群では顕著に減少し、精神症状も改善していたと報告されています(03
N)。
 同様の報告は、スウェーデンや米国などの研究者からもされています。
 そこで、日本で薬害が初めて大きくクローズアップされた、「スモン(スモン病)」の原因物質が、当時整腸剤として使われていたキノホルムであることを化学的研究で突き止められた、摂南大学の吉岡正則教授に、このあたりのお話をお伺いしました。

インタビューにあたって
〜まだ詳細には 解明されていない〜

仙石 日本も本格的な高齢化社会に突入しつつあるといわれますが、年をとると何とか最後まで呆けずに生を全うしたい、行きたいところに自分の足で行きたい、それにはどうすれば良いかを真剣に考えるようになります。
 吉岡先生が西原克成先生の研究会で「痴呆の病因の解明の糸口─アミロイド蛋白の酸化的沈殿反応」というお話をされたのを伺って大変興味を引かれ、読者を代表して是非この問題を吉岡先生から直接詳しくお聞きしたいものと思い押しかけてきた次第です。よろしくお願いします。
吉岡 高齢化社会に入ってアルツハイマー病の問題はとても重要であるとは思いますが、この問題についての自分の研究はまだ一般の方に発表するような段階ではなく、本当はあと2〜3年は研究してからお話しすべきだと思っています。ただ、社会的には急を要する問題であることは確かなので、今の段階の研究成果でよろしければ少しお話ししましょうか。
仙石 ありがとうございます。強引なお願いですみません。とにかく呆けたくないのです。しっかり者だった親が呆けてしまった姿を見せられると、次は自分の番かと思ってしまいますし、避けられる工夫の道があるならば、是非教えていただきたいと思っている次第です。
吉岡 残念ながら、キノホルムの応用ということについては、日本では今のところ、いろいろ社会的な制約があってまずできない方法でしょうということもありますし、私自身、今の段階で積極的にすすめているわけでもないことを十分承知しておいてください。また私の立場からも妙な誤解をされたら困るということも理解しておいてください。

スモンの原因を 解明された吉岡先生

仙石 わかりました。
 実は数年前、高校の同期生で、アルツハイマーの啓蒙書を出している黒田洋一郎君が、同期会でミニ講演をしてくれたことがあります。その彼のアルツハイマーの本、『ボケの原因を探る』(岩波新書) の中に吉岡先生のお話が出てくるのです。少し長くなりますが紹介させていただきます。
「薬害によるスモン」
 1960年頃から、奇妙な病気が日本で現れはじめた。猛烈な腹痛の後、足先からしびれていく。しびれは鋭い痛みをともなって足にそって上がってくる。しだいに各地で流行するようになり、(中略)伝染病とすればまず原因はウィルスと思われ、1970年ごろからスモンウィルスを発見したという報道が続き、患者やその家族は、(病気をうつされるのではないかと思われて)大変な苦しみを味わった。多くの研究者が、「やはり常識的にはウィルス感染」と思っていた頃、ある注意深い看護婦の機転が、スモンを解決に導くことになる。東京の三
楽病院で働いていた彼女は、入院中のスモン患者につけた導尿管が緑色に染まっていることに気がついた。そのような試料が出ることを待ち望んでいた東大薬学部田村研究室の吉岡正則博士に送られ、博士が分析した結果、それが、患者が飲んだ整腸剤の主成分である、キノホルムであることをつきとめた。この結果は6月30日に開かれたスモン研究会で報告されたが、キノホルムはありふれた整腸剤だったし、当時はなにしろ、ウィルス説と思いこんでいた人が多かったので、ほとんど関心を持たれなかった。
 しかし、東大グループ以外でただ1人この結果に注目し、疫学調査を始めたのが、新潟水俣病を経験していた新潟大学医学部の椿忠雄であった。この調査の結果、スモン患者のほぼ全員がキノホルムを服用し、キノホルムを大量に飲んだものほどスモンの症状が重いなど、キノホルムとスモンとの相関を示すデータが集まった。椿は厚生省に報告すると同時に、「1日遅れると新しい患者が60人増える」と、新聞発表に踏み切った。
吉岡 大体そういうことですね。
 その頃(1970年7月中旬)、私が助手をしていた東大薬学部薬品分析化学教室に、薬事審議会会長をされていた石館守三・東大名誉教授が訊ねてこられ、私は田村善藏教授に呼び出されて、最近わかったスモンの研究の結果を石館先生に話せと言われました。
 そこで私は、「患者の緑尿の本態は、キノホルムとFe3+のキレート(図)であった。薬局方にも収載されており良薬として評判のキノホルムが怪しい」と、5分間程度進講したところ、石館先生は、「それでは販売を禁止しなければ」と一言つぶやかれました。石館先生は研究を開始して3ヶ月、まだ学会にも発表してない時に、大学院を修了したばかりの駆け出しの助手の報告を真剣に受けとめられたわけです。
 実際、その年の9月8日に、キノホルムの販売中止と使用見合わせの通達が厚生省より発せられました。
 その後は、スモンの患者は事実上現れなくなり、緑色の物質の正体は、化学実験でキノホルムと鉄の錯化化合物であることを証明したのです。
 それまでスモンは、集団的に発生していたところから、ウイルスによって感染する病気だと思われがちでした。京大ウイルス研究所の「スモンウイルスを発見した」という発表を受けて、英国の臨床医学雑誌「ランセット」がそれを報じたり、朝日新聞も朝刊一面トップで「スモン、ウイルス感染説強まる」と報じたり(1970年2月6日)していましたから、無理もなかったのです。
 しかし、石館守三先生が会長をされていた薬事審議会の対応は早く、1ヶ月後には、「とりあえず使用見合わせ」の通達が出されました。
 その後スモン患者さんの団体ができて、裁判となり、国もキノホルムのメーカーも巨額の和解金を負担しました。この企業の存亡にかかわる教訓によって、製薬企業の一つの武田薬品は国際化にめざめ、今日の発展に至っているのは素晴らしいと思います。しかし、厚生省にはその教訓は生かされず、薬害エイズに見られるように、いまだに薬害が発生しているのは大変残念です。

薬害「スモン」 今も苦しむ スモンの患者さん達

仙石 薬害とか医療ミスに関わる裁判は立証責任の所在で結論は大きく変わりますから、どういう結論を司法が下すかはなかなか安心できないのですね。
 スモンの患者さんはウイルス説によって感染の危険があると誤解されていたので、病院などでも、目がよく見えなくなっているのに感染の危険が怖いということで看護婦さんが食事を遠くに置いて行ったりとずいぶん気の毒な目に遭われたようですね。
 大分時間が経った今では、このインタビューを目にする読者の方だけでなく、お医者さんをはじめ医療関係方面でもスモンのことをよく知らない方が大分いらっしゃるようなので、スモンとはどういう薬害なのか、まずそのあたりからお話をいただければ幸いです。
吉岡 今からもう40年以上も前になりますか、日本で毎年数千人、合計約2万人もの方が奇病と恐れられたスモンになりました。
 当時は、腹痛を訴える患者さんで急性腸炎と診断されると、キノホルムが整腸剤として広く投薬されていました。毎日1500〜2000ミリグラム投薬された人が多く、中には毎日8000ミリグラムも投薬された人もいたそうです。
 キノホルムは強力な銅・亜鉛キレート剤で、副作用としてビタミンB12欠乏症を高頻度で引き起こします。投薬されても、何でもない人もいましたが、多くの人が3ヶ月も投薬されているうちに、胃や腸がただれ、お腹が膨れたり(膨張)したあと、激しい腹痛を伴って緑便の下痢が起こり、足裏から次第に上に向かって、ひどいしびれや痛み、麻痺が広がり、次第に視力が衰え、失明にいたった人も多く出た疾患です。
 中枢神経麻痺、末梢神経麻痺、感覚麻痺の三つが加わった運動神経障害に悩まされる人も多く出て、東大神経内科の豊倉康夫教授が病理所見を下に、「亜急性・脊髄・視神経・末梢神経障害」という名前を考え、その英語表記subacute myelo-optico-neuropathyの頭文字をとって「SMON」と命名されました。
 患者さんは重篤な症状と、感染の危険があるとされた恐怖と差別を受け、そのご家族共々筆舌に尽くしがたい辛酸をなめ、いつ果てるともない絶え間ない激痛の連続と不治の宣告、あげくはウイルスで感染する病気として敬遠されたので、悲観して自殺する患者さんも多く悲惨だったのです。
 厚生省が石館守三先生の英断で迅速にキノホルム剤の販売を停止させた結果、スモンの発症は激減し、キノホルム原因説が正しいとされ、その後、動物実験でキノホルムがスモンの症状を引き起こすことが確認され、キノホルム原因説は確立されました。
 私達はスモン患者さんの緑色尿を分析し、良薬と思われていた薬の未知の副作用ということで、「薬害」という言葉が生まれました。
 戦後日本の文明的な大きな変革は三つの緑、すなわち@ペニシリンの発見につながった碧素、Aコンピュータネットワークによる新幹線の緑の窓口、Bスモンの緑色尿によって、大きな考え方の変化が起きたわけです。
 なお、スモンは直ちに命取りになる病気ではないので、今も苦しみつつ長生きされている方がかなりいらっしゃるというのが実情です。

キノホルムと アミロイド蛋白の沈殿機構
〜スモンの患者さんは 呆ける人が少ない〜

吉岡 ところが、このスモンの患者さんはボケにくい、アルツハイマーになる人が少ないということが、医学関係者の間ではささやかれてきたのです。
 それが何故なのかは、まだはっきりとは解明されていないのですが、最近になってオーストラリア、スウェーデン、米国などの研究者が、キノホルムが痴呆に有効であるとの多数の報告をするようになりました。
 例えば、アルツハイマーの患者さんにキノホルムを毎日20または80ミリグラム、21日間投与したところ、痴呆症状の改善が見られたという報告があるのです。
 この量はスモンの発症を懸念して、スモン患者が服用した量よりはかなり少なめに処方されています。
 一般的に薬は、低濃度では良い作用に、高濃度では毒作用に働きます。日本のみでスモンが頻発したのは、高用量のせいだったと思います。また、日本人特有の蛋白質が関係しているのかも知れません。ウイルスによる感染症と間違えられた集団感染は特定の医師達が集中してキノホルムを多量投与したのが原因だと今は考えられています。
 オーストラリアなどの研究者は、改善の理由として、キノホルムが脳のアミロイド斑に存在する鉄や亜鉛イオンとキレート化合物を形成して、活性酸素の一つである過酸化水素の発生を抑制するためと推定しています。
 少量投与されたキノホルムは鉄、亜鉛、銅などのイオンがもたらしたアミロイド蛋白集合体の金属イオンをキレート化合して取り去ることで、集合してシミ(アミロイド斑)になるような蛋白の凝集を抑制し、大きなかたまりを消失させることが考えられます。
 一方、過剰に投与されると、そのキノホルムが特有の神経症状を起こしたのです。

蛋白の、 フォールディング(折りたたみ)異常の病気 たとえばBSEでも…

吉岡 これはアルツハイマー病だけでなく、BSE(狂牛病)などのプリオン病、各種アミロイド症などに共通するのですが、沈殿アミロイド蛋白質はコンゴーレッドと呼ばれる赤橙色の色素で染まります。
 蛋白の沈殿はかなりの時間を要するので潜伏期間ともなるのです。また、種々の臓器に特有な蛋白の存在は病態の違いとなるのではないかと考えられます。
 蛋白の凝集の抑制で、うまくいけば数週間でアミロイド蛋白の沈殿が消失することも期待できるはずです。今後、これらの証明をしたいと思っています。
 その凝集が始まる理由は不明だったのですが、私達の研究の結果、遺伝的に起こるモリブデン欠損症患者のアミロイド蛋白であるトランスサイレチンのシステイン残基がS─スルフォン化という酸化的化学反応を起こしていることがわかりました。
 これはコンゴーレッドで染まり、ゆっくりと沈殿しフィブリン化します。このアミロイド蛋白の酸化的沈殿反応こそアルツハイマー病やプリオン病、そして恐らくはスモンの共通病因なのですが、アミロイド蛋白の沈殿反応の共通の引き金は、酸化した蛋白のシステイン─S─スルフォン酸だったことを見つけたのです。
 そして少量のキノホルムが酸化性の鉄、亜鉛イオンと結合し、無毒化して、アミロイド蛋白の沈殿反応が起きにくくなるのだと考えられます。 
 キノホルムなど薬の服用には慎重の上にも慎重を期さないといけないので、まだ何ともいえませんが、未だ手がかりのないアミロイド関連疾患の原因解明の糸口になる可能性もあるため、この研究は社会的にも急務であると考えています。
 まだ推定の域を出ていないと思いますが、たまたま、スモンで突き止めた原因とも関連しているのであえてお話しした次第です。
仙石 大変期待の持てる貴重なお話、誠にありがとうございました。