ヒトの食性は植物食(澱粉食)にあり

宮崎大学教育学部 島田彰夫教授

健全な食生活は、 生物学的にみた「ヒトの食性」と 風土と歴史に培われた 「食文化」の融合から生まれる

 農耕民族の日本人は長い間、米などの穀物を主食に、野菜類を主な副食として肉体を養ってきました。仏教の教えからも、肉や卵、牛乳などの動物性食品は忌避され、明治維新まで日本人が四つ足動物を食べ物にすることは殆どありませんでした。
 明治維新後、欧米の文化が流入し食生活にも動物性食品がとり入れられるようになりましたが、経済的事情もあって現在のように当然のごとく動物性食品を食べるようになったのは戦後、とくに高度成長期に入ってからのことです。経済的に豊かになるに従って食べる量も増加の一途をたどり、ついに"飽食”と呼ばれる時代が出現しました。
 戦後半世紀足らずで日本人の食生活は大変化を遂げたわけですが、その結果もたらされたのはがんや心臓病、糖尿病、アレルギーなどの成人病や慢性病の急増と、国の経済を脅かすまでになった膨大な医療費です。
 食生活を中心に「健康の疫学」を研究されている宮崎大学の島田彰夫先生は、歴史的にみても体の形態や機能からみても動物性食品は人間の食生活に馴染まない、特に長い間の食文化で穀菜食に適合した長い腸を持つ日本人にとってその弊害は欧米人より深刻だと警告されています。
 健全な食生活は生物学的視点からみた「ヒトの食性」と風土と歴史に培われた「食文化」の融合から生まれると提唱されている島田先生に、改めて動物性食品の弊害と日本人のあるべき食生活についてお話を伺いました。

ヒトの食性は 植物食(澱粉食)にあり
栄養改善運動の 優等生地域ほど 健康度が低い

――本誌もかねがね動物性食品の過剰摂取による弊害を訴えてきましたが、今日は改めて、島田先生に動物性食品の摂取による弊害について伺いたいと思います。
 先生は、ヒトの食性からも歴史的な食文化の側面からも、人には特に日本人には動物性食品は合わないと指摘されていますが、それはどういうことから?
島田 最初は食生活と疾病の関連を、特にがん、心臓病、脳卒中の三大死因を中心に研究していたんですが、そのうち死因はそれだけではないことに気づいて、入手できる限りの死因を集めていくつかの地域で比較してみたんです。そうしたら"行政の栄養指導をきちんと守った地域ほど健康状態が良くない”という大変興味深い結果が出たのです。
 何故こんな困ったことが起きるのか。調べていくと明治の文明開化期に行き着きました。
 当時、ヨーロッパの寒冷の地で形成された、蛋白質と脂肪、動物性食品の重視という食思想が分析技術とともに導入され、その後の指導的立場の人々に受け入れられました。その一方で、ベルツ博士など当時の来日外国人を驚かせた日本人の健康と体力など、日本人の生活実績は殆ど評価されなかったわけです。
 さらに、戦後の「栄養改善運動」では、欧米に追いつき追いこすのを目標に、脂肪の摂取量を上げるための油炒め運動や、牛乳・乳製品、動物性蛋白質の摂取が強力に推進され、日本人の食生活はわずか30年余りで大激変を遂げたわけです。
 栄養改善運動の優等生地域ほど不健康という奇妙なデータ、また、現代のがんや心臓病、アレルギー疾患などの増大は、こうした欧米の食生活をモデルにした栄養改善運動によって、風土と歴史に根ざした食生活の体系が破壊されたことと、それともう一つ、人間は何を食べるように創られているかという、種としてのヒトの食性を無視したところにあります。

ヒトの食性は雑食ではなく 植物食(澱粉食)

――食性ということでは、人間は雑食性とよく言われますね。
島田 栄養学のテキストにも雑食性とありますが、実はヒトの食性を、純粋に生物学的視点で研究したものは今までなかったのです。
 動物の食性は爪や歯、消化器、消化機能など体の形態や機能に表われます。ですから、ヒトの場合も、道具や武器をもたない裸のヒトがどんな食べ物を手に入れられるかということから考えていかなければいけません。そのようにして、文明文化を一切排除してヒトを動物として客観的に観察していくと、ヒトの食性は"植物食”であることが分かります。
・形態
 爪を観察してみると、人間の爪は平爪、肉食動物は鉤爪で、人間の爪は動物を獲得するようには出来ていないことが分かります。
 歯も、肉食動物は切歯から臼歯に至るまで全部尖った歯をしていますが、ヒトの歯は犬歯も含めて大体似たりよったりの長さで生えています。肉を食べるにはあまりにも頼りない形態からも肉食には向いていないことが分かります。
・機能
 歯を機能面で捉らえると、肉食動物はものを食いちぎって飲み込むだけなのに対し、ヒトは歯で咀嚼します。人にとって咀嚼は食べる上で重要な要素ですが、牛や馬などのよく噛む動物の歯とも違います。
 特に臼歯を比べてみると、ヒトの臼歯は豆類や穀類など粒状のものをよく噛めるような形になっているのに対し、馬や牛の臼歯は横に溝が2〜3本入ってるだけで、草など繊維の長いものをすり潰すのに都合よく出来ていることが分かります。
・唾液アミラーゼ活性
 ヒトの食性で最も特徴的なのは唾液に含まれている澱粉を消化する酵素「アミラーゼ」の活性が高いということです(図1)。
 唾液アミラーゼ活性が高いのはヒト、ブタ、ネズミなど限られた動物で、肉食動物はゼロ、植物食の動物でも牛になると非常に低く、馬は分泌されません。ですから、唾液アミラーゼ活性が高いという特徴は、ヒトにとって澱粉食が非常に重要であることを示しています。
 さらにヒトのアミラーゼは膵臓からも分泌され、澱粉を2段構えで分解する機能をもっていることからも、ヒトにおいて澱粉がいかに重要であるかが分かります。
・食べ物を捕獲する手段
 第一段階ではまず目や鼻、耳を使って食べ物を見つけるわけですが、ヒトの鼻と耳の機能は低く、優れているのは目だけです。色覚、立体視といった他の動物にない様々なすぐれた機能を持っている上に視力が良く、ヒトにおいて食べ物を見つける一番鋭い器官は目になります。
 次に手足を使って、見つけた食べ物を獲得するわけですが、他の動物と比べてヒトの腕力は決して強くはなく、さらに弱いのが足です。時速20km台がせいぜいの遅い足では、他の動物を捕まえられるわけがありません。
 こうして考えると、食べ物は道具や武器は一切なしで自分の裸体だけ使って手に入れられるものが大原則ですから、肉はヒトの食べ物とはならない、食性を外れたものと言えます。
 爪も歯も武器として使えず、目で遠くにある危険を察知して遅い足を使って逃げ生き延びた――そういう文明文化が生まれる以前のヒトの姿にこそ食性の原点はあるわけで、こうしたヒトにとって食べ物になり得る第一条件は"動かないもの”、基本的には植物、それも澱粉食が中心になります。

肉食文化は代用食文化

――それが雑食生活をするようになったのは?
島田 人間の先祖は熱帯を起源として、そこに自然にあるもの、基本的には穀類、豆類、あるいは芋類を食べ物としてきたわけですが、火や簡単な武器を持つようになってから、生まれ育った生活圏から別な自然の中にはみ出すようになりました。食べ物はそこにあるものを利用するのが基本なので、そうして今のように世界中で様々な食文化が生まれるようになったのです。
 肉食を地域的にみると、熱帯や温帯南部では摂取量が少なく、赤道から離れるにつれて多くなり、極北ではほぼ完全な肉食になります。日本よりもはるかに北に位置しているヨーロッパでは作物の栽培が困難(図2)で、肉への依存が大きくなりますが、ヒトの食性からみると、北に住むヨーロッパ人の食生活は彼らの身近なところで得られた材料による代用食文化だといえます。
 これに対して、日本人の食生活は、ヨーロッパとは異なる温暖な自然環境を反映して、ヒトの食性に近い、エネルギーの多くを澱粉を主とする炭水化物に依存する生物学的には望ましい食形態であったわけです。
 そうした風土や歴史を無視して、代用食文化から築かれたドイツ栄養学、私は「北緯50度の栄養学」と言っていますが(図3)、これに基づいた栄養指導が北緯35度の日本で行われてきたことは、日本人にとって大きな悲劇だったと思います。

高蛋白食より低蛋白食
母乳に学ぶ エネルギーの栄養摂取量

――では、ヒトの食性に近い食生活はどのような栄養構成になりますか。
島田 これには、ヒトにとって唯一、単一で完全食品といえる母乳が大きなヒントになります。
 母乳は発育が盛んで多量のエネルギーを必要とする乳児のために高脂肪になっているほかは、一般に糖質、蛋白質、カルシウムなどは、その種が摂取すべき栄養素構成を反映しています。
 人の母乳は牛乳と比べて、糖質は約1・6倍、蛋白量は・、カルシウムは約・と、著しく高糖質、低蛋白、低カルシウムになっています(表)。このように、低蛋白、低カルシウムは発育に時間がかかる動物の乳の特徴である一方で、高蛋白で高カルシウムの乳は速成で成長する動物の特徴となっています。ですから、今言われているようにたくさん蛋白を食べなければいけない、たくさんカルシウムを摂らなければいけないということはないと考えられます。
 今の栄養所要量でいくと蛋白質は成人男性が70g、女性が60gとなっていますが、この量は世界のトップクラスです。アルゼンチンは39g、FAO(国連食糧農業機関)がおよそ45gですから、多くても50gを超える必要はない。それが今、日本人の蛋白質摂取量は80gを超えていますから、男女平均の所要量を仮に65gだとしても、2割以上も多く摂っていることになります。
 そうなると、現代の健康の大きな問題の一つには、エネルギー比における蛋白質の過剰摂取があると思います。
 脂肪も大人の場合にはエネルギー全体の10%以上は要らない。仮に10%だったとしても、今摂ってる量の3分の1ぐらいの量で十分な筈です。
 残りの部分が糖質で、そうすると、母乳の成分の割合から糖と蛋白の適正摂取量を出してみると、エネルギー比は糖が約78%、蛋白が約12%、脂肪が約10%という割合になってきます。この割合は1955年から60年くらいの日本人の食事の状態と非常によく似ていると共に、現在の平均的アジア人の食事ともよく似ています。
――そのパターンの時は、結核など感染症が多くなるということで、もっと蛋白質を摂ろう、脂肪を摂ろうということもあったのではないですか。
島田 確かにその当時、死因の1位は結核でしたけれども、もっと昔に遡ると大森貝塚の発見者E・モースが明治の東京の健康状態がボストンよりも非常にいいのでびっくりした、同時に感染症が少ないと報告しているんです。
 結核は、貧農の娘たちが非常に劣悪な環境だった紡績工場などに駆り出されて感染して、働けなくなったら家へ戻されるという状態で全国へ広がったと言われ、元々は日本には少なかったとされています。
――蛋白は必須アミノ酸のバランスが重要ですね。それで、動物性食品の方が勝っているという意見は?
島田 我々は1種類の食品だけで生きてるわけではない、何種類もの食品を食べているわけです。そうすると、例えば米だけでは駄目でも、米と大豆の組み合わせでうまくバランスが取れるということが出てきますから、日常どういう組み合わせで食べ物を食べるかでバランスというのはものすごく変わってくると思います。
 そういう意味でよく言われるのは、米と豆類を重量比でだいたい2対1で摂れば、プロテインスコアは100近くなると言われています。

骨粗鬆症、白内障を促進する牛乳

――これだけ人乳と栄養組成が違っているのに、牛乳は相も変わらず完全栄養食品として、特にカルシウム摂取源として絶賛されています。かねがね牛乳の摂取に苦言を呈している先生に、ここで是非牛乳の是非論をお聞きしたいのですが。
島田 牛乳についてはまず、消化酵素活性が白人と我々では違うことから、日本人の日常摂取する食品ではないと考えています。
 牛乳にカルシウムや蛋白質がたくさん入ってるのは間違いありませんが、我々日本人のように離乳した後にラクターゼやガラクトキナーゼなど乳糖を分解するのに必要な酵素がなくなってしまう人種(図4)には、乳糖と一緒になっているカルシウムは排泄が促進されることが明らかになっています。
――ラクターゼがないために日本人は牛乳を飲むと下痢をする「乳糖不耐性」の人が多いわけですが、乳糖不耐性の人が牛乳を飲むと骨粗鬆症になりやすいというデータは結構出ていますね。
島田 出ていると思います。結局、乳糖と共存するカルシウムの排泄が促進されるということは、例えば牛乳から100のカルシウムが入ったとすると、他の食べ物から入ってくるカルシウムも道連れにして120外に出してしまうということなんです。他の食べ物から入ったカルシウムまでひきずり出してしまえば、体の中に残るカルシウム量は当然少なくなって、そうすると必然的に骨粗鬆症が促進されることになります。
 牛乳がこれだけ普及してきたことと、骨粗鬆症の問題が大きくなったこととから考えると、骨粗鬆症は栄養指導が引き起こした病気と言わざるを得ない側面があります。
――高蛋白食はリンが多いために、それでカルシウムの排泄を促進してしまうというデータもありますね。
島田 牛乳のリンとカルシウムの比は理想的と言われていますが、動物性食品や添加物を多く摂っている現代人は相対的にリンの摂取量が多くなって、それによってもカルシウム排泄が促進されるという側面がありますね。
――発酵乳では乳糖の消化が良くなっていると言われていますが?
島田 ヨーグルトなど乳糖がグルコースやガラクトースに分解されているものであれば、ラクターゼの活性が下がっている状態でもカルシウムの吸収率は良い――という実験データが1960年代に出ています。
 それでカルシウムの摂取源としてヨーグルトが勧められるわけですけれど、実際にはヨーグルトの場合、乳糖がグルコースとガラクトースに分解されていても、ガラクトースをグルコースに変換するための酵素「ガラクトキナーゼ」がないために、吸収されたガラクトースは目の中の水晶体に集まって白内障の原因になります。これは1970年の動物実験で出ています(図5)。
 今、白内障が若い世代にも増えていますが、若年性白内障の人にはガラクトキナーゼ活性が低いことが注目されています。
――日本人でも、牛乳を離乳期をはさんでずっと飲み続けていると、ラクターゼ活性は落ちないという説もありますが?
島田 活性は落ちます。ただ、食べ物の種類によって腸内細菌叢が変わってきますから、牛乳を飲み続けていれば腸内細菌の中に乳糖を分解するものがいる可能性が高くなります。そうなれば下痢症状などは起こしません。
 ところが、今度は腸内細菌叢が変わることで例えば将来、結腸がんになるリスクが高くなるという可能性が出てきます。
 大腸がんの原因は高脂肪食のほか様々言われ、その一つに腸内細菌叢の違いが知られています。例えば肉とかミルクとか動物性食品を多く摂っている人と、植物中心に食べている人とでは腸内細菌がまるで違う。そういった腸内細菌の代謝産物が発がんにかかわっていると考えられているわけです。
 ですから、牛乳をいくら飲んでも下痢しない大人は日本人にもいますけれど、そういう人達の腸内細菌叢が果たして正常かチェックする必要があると思うんですね。

アレルギーを促進する卵

――卵は、アレルギーの元凶といわれていますけれど。
島田 卵も牛乳も結局、人にとってはどちらも超高蛋白食であるところに問題があります。
 卵は特に、アレルゲンとして小児科やアレルギーの専門医に指摘されていますが、離乳指導に卵を使うようになったことと、アレルギーが増えたこととは確かに関連していると思います。
――先生は牛乳が人にふさわしくない食品であることを乳糖の消化酵素の有無から着目されてますが、卵も、卵白中のオバルブミンやオボムコイドなど、人間の消化液ではなかなか消化し切れない難消化性の蛋白質が問題だとされていますね。
島田 それもありますけれど、それ以前にヒトという動物は、母乳の蛋白質組成でも分かるように、非常に低蛋白で生きる動物なんです。それからして、卵や牛乳、肉などの超高蛋白食はヒトの食べ物としてふさわしくないと言えます。

人間にとって 最良の食生活は 生物学的に最も遠いものを

――魚はどうでしょうか。
島田 比較の問題ですけれど、私は魚は肉類よりはましだと考えています。
 非常に単純化して言えば、生物の分類学上で人と食べ物の距離を考えると、牛や豚は同じ哺乳動物ですから非常に人に近い。けれども、鳥は脊椎動物ではあっても哺乳動物とは一歩離れたところにいる。魚はさらに一歩離れたところにいる。最後に最も遠くに位置しているのが植物です。
 いろいろな調査データを分析した結果、例えば、牛肉を多食する地域と鳥肉を多く摂る地域では、健康度は鳥を多く摂っている地域の方がややまし、それよりも魚の方がもっとましだという結果が出ています。
 そうしたことからも、人からなるべく距離の遠いものを食べようと提唱しているわけです。

進化は食べ物の植物化を伴う

――ヒトの先祖を辿っても、アフリカで森林生活を送っているチンパンジー、オランウータン、ゴリラ、ボノボなど草木の葉や実を主に食べている類人猿の仲間ですからね。
島田 ゴリラは殆ど植物しか食べてない、チンパンジーは肉をごくたまに食べますが年に数回くらいで、それは彼等にとって、人間が年に数回お祭の日に御馳走を食べたのと同じようなものなのではないかと思えます。
 霊長類の進化をみると、食べ物がだんだん植物化してきていることがみられます。下等なサルほど動物食になる(図6)。ですから、この系統にきた進化は動物食から植物食に変わる進化だと考えています。霊長類の一番上に位置しているのがヒトならば、人間は100%植物食でないとおかしいと考えています。

動物性食品はハレの日に

――食性にあった食生活が植物食なら、肉、牛乳、卵は当然はずれるわけですね。
島田 基本的にはそうでも現実の食生活はいろいろな要素が入り込んできてますから、それを食べることが楽しみの一つであるならば、昔、祭の日にはご馳走を食べたように、何か特別な時には食べても良いと考えています。そういったものをひっくるめて食文化は形成されてきているんだろうと思います。
 困るのは、日常的に摂らなければいけないと思い込んでいることです。
 盆・暮れ・正月、その他家族のお祭、地域のお祭、これを全部足すと例えば岩手県の調査ではハレに相当する日が20日に1日の割合で回ってきます。
 食事は娯楽の要素も大切です。体に良く、かつ楽しみとなる食生活を、先人の知恵(食術)も継承して、各自築いていって欲しいと思います。

食性と食文化の調和を

島田 結局、健康を確保し増進させる食生活は、ヒトの生物学的尺度である「食性」と、人間の文化的尺度である「食文化」との調和から生まれると考えられます。
 ヒトの身体は文明・文化の発展と同じ速度で変化することはできません。ヨーロッパ人が乳糖を消化するラクターゼ活性を高めるには、牛乳を飲み始めてから6000〜1万年かかったと言われています。ということは、食生活や食文化を急激に変化させることは危険だということです。
 食生活は、世代を超えて築き上げられた食生活の体系を守りつつ、時代に応じて若干の改善を加えていくことが健康の基本になります。そのためには農、食、医の連係によって健康を確保することが大切です。
 また、一般の人には動物的勘を取り戻して、頭で食べるのではなく勘で食べる訓練をするのが、健全な食生活を営むのに重要な要素になると思います。