アルツハイマー型痴呆の予防にベータカロチン

診断と予防に光

東北大学農学部・応用生物化学 宮澤陽夫助教授

アルツハイマー型痴呆症の診断と予防に光

 脳の神経細胞の死が不気味に進行し、脳が広範囲に萎縮していく「アルツハイマー型痴呆症」は、先頃、アメリカのレーガン元大統領が自ら、この病気を公表し、新たに注目されています。
 高齢化社会の到来で、最も恐れられている病気がアルツハイマー型老人性痴呆症です。高齢化社会に入った米国では現在、85歳以上の約半数がこの病気にかかっていると言われ、推定患者数400万人、心臓病、ガン、脳卒中に次いで死因の第4位となっています。日本でも40万〜100万人の患者が推定され、高齢人口の増加に伴って患者の増加が予測されています。
 アルツハイマー型痴呆症の恐いところは、「脳血管型痴呆症」と違い、未だに原因が確定されず、従って決定的に有効な予防法、治療法がみつかっていないことにもあります。
 東北大学農学部の宮澤陽夫先生は世界に魁けて、生体膜レベルでの過酸化脂質を、高感度で定量測定できる装置「化学発光検出―高速液体クロマトグラフ(CL―HPLC)」法を開発。これによって、アルツハイマー症患者の赤血球膜には、異常に多い過酸化脂質が検出されることを発見し、さらに、ベータカロチンが赤血球膜の過酸化脂質を消去するのに有効であることを突き止めました。宮澤先生はこれらの結果から、「CL―HPLCによる赤血球膜の過酸化脂質の測定でアルツハイマーの診断と将来的予測が可能となり、また、ベータカロチン
の十分な摂取でアルツハイマーの予防も可能」という仮説を立て、現在、臨床面での研究を進めています。
 宮澤先生に、赤血球膜の脂質過酸化とアルツハイマー型痴呆症との因果関係、ベータカロチンの抗酸化作用などについてお話を伺いました。

赤血球膜の酸化と アルツハイマー 生体内の酸化反応と老化

・・ベータカロチンでアルツハイマーの予防も可能という先生のご研究は未解決の分野に光をあてた画期的なものですが、先生がアルツハイマー病患者の赤血球膜の過酸化脂質に注目したのは何故ですか。
宮澤 もともと私の研究テーマは過酸化脂質で、食品の脂質過酸化から始って、最近は老化制御の面を研究しています。
 人は約60年から100年もの間、呼吸により絶えず酸素をとり入れてエネルギーを生産し、それによって生命活動を営んでいます。つまり、酸素をとり入れることで体内では酸化反応(体内酸素代謝)が起き、体内に入った酸素は代謝系にのってエネルギーを生産し、人は生かされていくわけです。
 この酸化反応の過程で酸素の一部は、反応性に富む酸素分子種(活性酸素)を生成します。この活性酸素は、生体膜や、細胞内の脂質、糖質、アミノ酸、核酸などに反応して、いろいろな超酸素化分子(活性酸素、過酸化脂質、フリーラジカル等)を生成します。
 これは一種の鉄のサビのようなもので、人にはその生成・蓄積を防ぐ機構、抗酸化機構が幾重にも備っています。しかし、加齢に伴ってその能力は落ち、体内にサビ成分が蓄積されると、これが老化や老化性疾患の大きな原因となります。
 こういった酸化反応が脂質で起きると、過酸化脂質が出来ます。生体膜というのは主にリン脂質で出来ているのですが、このリン脂質が活性酸素に攻撃されると「過酸化リン脂質」という過酸化脂質を生成します。
 近年、これが動脈硬化や痴呆など老化性の病気に深く関係していることが言われるようになってきました。しかし、細胞レベルでの過酸化脂質の分析は定量的に測定する方法がなく、その関係は十分に明らかにされていなかったのです。
 私達は老化の研究を始める時点で先ず、分析法の研究に着手し、世界で始めて、人の体内のサビ成分を細胞レベルで定量的に測定できる「化学発光検出・高速液体クロマトグラフ(CL―HPLC)」法の開発に成功しました。この自動測定装置によって、過酸化脂質の生成・蓄積と老化とのかかわりを実際に証明することがきるようになったのです。

アルツハイマーの患者は 赤血球膜の 過酸化脂質が多い

・・アルツハイマーの患者さんの赤血球の膜に過酸化脂質が多いことも、CL―HPLC法での測定で明らかになったのですね。
宮澤 そうです。この分析法の開発で始めて生体膜のレベル、例えば血液中の過酸化脂質などを正確に測定できるようになり、血液成分の過酸化脂質を臨床試料について分析できるようになりました。
 血液というのは大きく2つに分けると血漿と血球に分れ、血漿では血漿中のリポ(脂質)蛋白が酸化され、「高脂血症」からの「動脈硬化」を促します(図1)。
 一方、血球では、血球にはいろいろありますが主に赤血球ですね、この赤血球については昔から、毛細血管によって各細胞に酸素を運搬するという役割が定まっています。
 或る時、「痴呆症の人に、脳に良いという魚油のDHAやEPAのカプセルを勧められたが、どう思うか」と質問されました。
 実はEPAやDHAは二重結合の多い不飽和度の高い脂肪酸で、酸化が進みやすい、過酸化を受けやすい脂質なのです。そういう脂質を、抗酸化能力の低下しているお年寄りにカプセルで与えるというのはちょっと拙い、その前に調べる必要があると思い、そこからアルツハイマーの患者さんの血液の過酸化脂質を調べることになったのです。
 まず血漿を調べたところ、特に過酸化脂質が多いということはありませんでした。
 その時、血漿を分離すると血球も得られるので、ついでに血球も調べようということになりました。そうしたところ、アルツハイマーの7割の人の赤血球膜から、健康な人の3〜10倍もの過酸化リン脂質が検出されたのです(図2)。

脳への酸素不足が アルツハイマーを引き起こす!?

・・赤血球膜に過酸化脂質が溜まると、酸素が脳にいかなくなり、脳が酸欠になって細胞が壊れ、それでアルツハイマーになるわけですか。
宮澤 まだ仮説ですが、そう考えています。
 イギリスの有名な血液学者が1960年代に書いた「ヘモグロビンからの酸素の受渡し(酸素解離))」に関する論文に、毛細血管周辺の細胞が酸素欠乏になっていても、赤血球膜の中に酸素が沢山あると酸素分圧の傾斜が起きないので、ヘモグロビンからの細胞への酸素の受け渡しはうまくいかないだろうと書かれています。
 要するに、赤血球膜に過酸化脂質が溜まっているということは、膜内に酸素が沢山存在していることを意味しています。そうすると、酸化ヘモグロビンからの各細胞への酸素の受渡し能力が低下するので、結果的に脳への酸素が不十分になり、脳細胞の障害を引き起こすと考えられるわけです。
 体の中で一番酸素を必要とするのは筋肉を別にすると脳細胞です。その脳細胞が慢性的な酸素欠乏になれば、グルコースの解糖系が働かなくなり、脳のエネルギー生産が出来なくなって結局、脳細胞は死ぬしかない。それで、広範囲に神経細胞死が進んでいくと考えられます。
 我々は実は、アルツハイマーの人達は脳細胞でも脂質過酸化が進んでいるのではないかと考えています。脳の過酸化脂質は測定していませんが、スウェーデンのカロリンスカ研究所が痴呆症で亡くなった人の脳の脂肪酸組成を調べた研究では・・アルツハイマーの人の脳ではEPAやDHAが健常な人よりも減っている・・というデータが出ています。
 そのデータと我々のデータを比較すると、脂肪酸組成の変化は赤血球膜でも全く同じであることが分ります。赤血球膜でもやはり、アルツハイマーの人は健康な人に比べてEPAやDHAが減っているのです。それはアルツハイマーの場合は赤血球膜が過酸化を受けているからで、過酸化を受けるとそういった脂肪酸が分解されるので、その比率が低下するからです。
 また、アルツハイマーでは特有の変性蛋白(ベータ・アミロイド)がみられますが、脳で脂質過酸化が進むと脳に脂質ラジカルができ、それが脳の蛋白に反応して変性蛋白を生成することも推測できます。
・・血管性痴呆症の人の血液酸化度の測定はされなかったのですか。
宮澤 血管性痴呆は原因が分っているので調べませんでした。動脈硬化と関連しているので、恐らく、血漿の方に過酸化脂質が多いケースだと思います。

ベータカロチンと アルツハイマー病の予防
ベータカロチンは 血球膜の酸化防止に 特異的に働く

宮澤 アルツハイマーの研究は今迄、脳の蛋白の変性に関するものが殆どで、血液生化学的なアプローチは殆どなされていなかったのです。我々の研究で赤血球膜の過酸化脂質量が多いことが分かったことから、専門が食品機能学なので、食品成分の中でそれを防ぐものはないかとマウスでの実験を始めました。
 過酸化脂質ができるメカニズムから、EPAやDHAなどが酸化されているのではないかと考え、マウスに魚の油を食べさせたところ、赤血球膜に正常値の約4倍の過酸化脂質が蓄積したマウスを作ることに成功しました。
 そこで始め、抗酸化物質として良く知られるビタミンEを与えてみたのですが、血球中のEは増えたものの、過酸化脂質の蓄積は完全には抑えられませんでした。ビタミンEは比較的不偏的に分布しているので、各組織で広く抗酸化能を発揮するのですが、血球の膜というのは他の生体膜と違って、物理化学的な構造が少し違うので、血球には血球独自で働く抗酸化物質があることが考えられました。
 赤血球の膜はリン脂質が二重層になって、膜の中での脂質の過酸化は水が入りにくいようなところで起きます。ところが水酸基を1個持つビタミンEなどは極性が高く、そういう場所では中迄深くは入っていけないのです。一方、水酸基を持たないベータカロチンは非極性で、そういう2重になった赤血球膜の脂質の中にも入っていけることが考えられました。
 そこでマウスを、餌にカロチンを・混ぜない群、・0・6%混入群、・3%混入群・・と分けて比較したところ、カロチンを混ぜた餌群はたった1週間で過酸化脂質の量がものすごく減ったのです。驚いたことに、混ぜなかったマウスの約60分の1しか検出されませんでした(図3A)。
・・ベータカロチンは、どのようなメカニズムで抗酸化作用を発揮するのですか。
宮澤 カロチンを摂ると血漿中のカロチン濃度が増えて、血球よりも血漿の方がカロチン濃度が高ったのですが、血漿ではあまり抗酸化機能を発揮しません(図3B)。要するに、血球のカロチンは血漿から血球に移り、カロチン濃度の低い血球で抗酸化能が発揮されるのだと思われます。
 それで、ベータカロチンは赤血球膜のリン脂質の中で、自らが活性酸素をキャッチして、膜のリン脂質より先に酸化されることで抗酸化能を発揮していると考えられます。
 酸化されたベータカロチン(エンドパーオキサイド)は壊れてケトン体になって、さらにビタミンAに類似の代謝系によって最終的に除かれていきます。

場所によって違う抗酸化物質の効果

・・血漿のベータカロチン濃度が高かったのに、血漿では効かなかったというのは何故ですか。
宮澤 つまり、食べ物として摂った抗酸化物質は脂質過酸化が進行している部位に到達しないと意味がない、過酸化反応が進んでいるその場所まで辿りつかないとその効果は発揮できないわけです。
・・ということは、食品中の抗酸化物質は体の組織によって効く種類が違うということも言えますか。
宮澤 多分違うと思います。万能というわけにはいかない。
 私達はベータカロチンについてそれ迄、皮膚の過酸化脂質でみていたのです。日焼けは「光増感酸化」といって紫外線のエネルギーで脂質が過酸化され、一重項酸素という活性酸素ができます。その時、ベータカロチンを摂取すると、皮脂のスクワレンの過酸化物のでき方が抑えられるのです。
 それで、ベータカロチンは今のところ、皮膚と赤血球膜に働く抗酸化物質と考えられます。他の組織では絶対に抗酸化能を発揮しないということではないのですが、やはり、赤血球の膜や皮膚でその効果が強く表れます。
・・アメリカの国立衛生研究所の調査で、ベータカロチンを摂ると肺ガンの危険率がかえって高くなるというデータが出ていますね。
宮澤 疫学調査の評価はちょっと難しい面があって、その論文にも、この場合のベータカロチンの逆効果は入手可能な全てのデータからは予測つかない、統計的な有意性はあるが偶然かも知れないと書いてあります。
 ただ私達の実験でも、肺の中の過酸化脂質はカロチンでは減らなかった。肺については他の抗酸化物質を見つける必要があると思います。
・・熊本大学の前田先生の研究でも大腸ガンに野菜スープは効いてもベータカロチンは効かなかったということですから、やはり大腸のあたりにも行かないのでしょうね。
宮澤 消化管内では、野菜スープに多く含まれているフラボノイドやポリフェノールなどが行きやすい。ですから、抗酸化という機能は同じでも、それが分布しやすい場所がなくては駄目ですし、その反応の場の物理化学的性質も影響してきます。
 今迄はその辺の研究も進んでいなかったから無理もないのですが、分析法も進んできた今、抗酸化機能のメカニズムや発現の部位も含めて、今迄の説と違うところが出てくると思います。抗酸化物質といっても、脂溶性も水溶性もあるし、化学構造も色々なバラエティーがありますから、その点、一つ一つ別々に考えていかなければならない時代になってきました。
・・血管性の痴呆症は血漿の過酸化脂質が問題になるとのことでしたが、これを抑えるのは何がありますか。
宮澤 やはり、ビタミンEやC(アスコルビン酸)と思われます。
 但し、アスコルビン酸も過剰になると逆に酸化の危険が出てきます。ビタミンEの過剰症は実際に体の中ではあまりないのです。ところが、ビタミンCを過剰に摂るとアスコルビン酸ラジカルが沢山できて、それこそ危険なんです。
・・脂溶性ビタミンは体に溜まるので過剰症が起きるが、水溶性ビタミンは尿に排泄されるので摂り過ぎても心配ないと言われていますが、違うのですか。
宮澤 試験管内と実際の体内でのデータは違うし、栄養学的な見方と薬理学的な見方も違う。そこら辺が混乱しているので、これからは整理して考えないと、大変ですね。
 食品成分の抗酸化物質は種類によって効果を発現する場所も違うし、また病気によっても効きかたが違うわけですから、いろいろな種類を適量摂ることが良いと言われるようになってくると思います。

カロチンを摂って アルツハイマーを予防

・・とにかくアルツハイマー痴呆症の予防には、ベータカロチンは期待できるわけですね。
宮澤 大いに期待できると思います。
 図2をみると、痴呆症の人ではやはり加齢につれて過酸化脂質の量が高くなっています。また健康な人でも高い人がいます。こういう人達は将来、痴呆症になる可能性が高く、そういった意味で、カロチンをどんどん摂取するのは痴呆症の予防に効果が期待できると思います。
・・先程のお話に出たEPAやDHAは結局、痴呆症には良くないわけですか。
宮澤 今まで話してきたように、EPAやDHAは酸化されやすく、赤血球の膜の中で過酸化脂質になりやすい。リノール酸系の油の摂り過ぎでバランスを崩している人がEPAやDHAを摂るのは許されますが、日本人の場合、魚を比較的多く摂っているので、全体としてみると今の日本人の摂取量はちょうど良く、食事や栄養も理想的なわけです。それで寿命がこんなに伸びているわけです。
 原始的な性格を持つ脳神経系の細胞は、魚由来のEPAやDHAを要求するわけですが、その酸化には注意が必要です。特に高齢者では、不飽和度の高い脂肪を多く摂るのは控えるべきです。
 現にEPAやDHAを多く摂ると、体内のビタミンEは大きく減ることが分っています。これは、体内でEPAやDHAの酸化を防ぐためにビタミンEが大量に消耗されることがわかっています。DHAやEPAなどをカプセルで摂る場合は、ビタミンEやカロチンなどの抗酸化物質と一緒に摂らないと恐いですね。
・・脳の過酸化脂質をベータカロチンが抑える、消去するということは期待できませんか。
宮澤 脳には、脳血管関門という関所のようなものがあって、そうやたらに薬でも脳に到達できない、だから、脳の薬の開発は多くの困難を伴います。
 しかし、カロチンを食べると血球にカロチンが入るから、血液にのるわけですね。それで、脳細胞まで行く可能性はなくはない。脳の脂質過酸化も、赤血球の過酸化脂質が引き金になって脳の細胞に移行していくことになっているのかも知れません。そうであれば、まず原因になっている血球の過酸化脂質の生成を抑えるという意味でベータカロチンを摂るのは勧められます。
・・ベータカロチンのアルツハイマー型痴呆症の患者さんへの投与は既に行なわれているのですか。
宮澤 今、痴呆症の初期の人に摂取してもらう試みがあります。それで飲まない人と症状の進み具合に差が出るかを見てみる。それで効果の判定がある程度可能と思われます。

血液の検査で、 痴呆症の予測も可能に

・・逆に、血球膜の過酸化脂質が高いと、アルツハイマーになりやすいデータはあるのですか。
宮澤 ないです。調べたいところですが、その結果を出すには大きなプロジェクトで長期間取り組まなければなりません。なかなか難しいですね。
 ただ私自身は、健常者で高い値を示した人は将来に、痴呆症になる可能性が高いと思います。
・・そうすると、老人の健康診断では必ず赤血球膜の過酸化脂質を調べる。値が高かった人はベータカロチンをより積極的に摂る・・ということになれば、高齢化社会に随分希望がみえてきますね。
宮澤 CL―HPLC法の測定で調べると、痴呆症者の血球のパーオキサイドのレベルは70%の人が異常値を示します。7割の人の異常値がつかめるというのはすごい確率です。
 今、血液生化学的に痴呆症を診断、予測する方法はないのですが、この自動装置で血漿と血球を調べ、血漿では心筋梗塞や脳梗塞、血管型の痴呆症。血球ではアルツハイマー型痴呆症の診断と予測に使えば、老人性の疾患に対して大きな前進が期待できるものと思っています。
・・是非、期待したいですね。今日は貴重なお話ありがとうございました。
 (インタビュー構成・功刀)