高能力の維持とセレニウム
獣医学でも注目されるミネラル
日本獣医畜産大学教授 本好茂一先生
日本の家畜には、
セレニウム欠乏症が多い
獣医学では認可されているセレニウムの製剤、飼料への添加
セレニウムの必須性は、家畜のセレニウム欠乏症や繁殖力の低下などから分かって来ました。
そのため獣医学の分野では早くからセレニウムの必要性が認められ、日本でも家畜飼料への添加や治療用薬剤が認可されています。日本の土壌はセレニウムが少く、セレニウム欠乏症にかかる家畜が多いと言われ、予防や治療にこのようなセレニウム添加飼料・セレニウム製剤が投与されています。
セレニウムはその重要性から、人においても製剤やサプリメント(栄養補助剤)の認可が求められていますが、現状では医師が自己の責任で用いたり、個人輸入で手に入れる他ありません。
今月はそこらへんの状況もふまえて、大の馬好きで日本ウマ科学会会長もされている日本獣医畜産大学教授の本好茂一先生に、セレニウムのお話を伺いました。
日本の土は、 セレニウムが少ない
・・セレニウムは土壌中に存在するミネラルですが、日本での含有量はどうなのでしょうか。
本好 全国的にかなり低く、日本のあちこちで家畜のセレニウム欠乏症が発生していることが分かって来ました。
しかも、土壌中の亜セレン酸がすぐに体に利用されるかというとそうではない。それが吸収されて有機のセレン蛋白にならないと有用でないと言われています。植物中の、特に葉に含まれるセレニウムは有機の形になっていて非常に利用が良く、セレニウムは植物から摂れば良いのですが、日本の土壌中には植物が吸収できる形の水溶性のセレニウムが非常に少ないと言われます。そういうところの家畜ではしばしば欠乏症が発生しています。
また、日本では牧草面積が少ないために、家畜の餌では草の部分が必然的に少なくなり、そこからも不足が起きてきます。それで飼料は輸入に頼らなければまかない切れないわけですが、輸入粗飼料(干し草)も、セレニウム含有の低いものが多いといわれています。
・・酸性雨の影響で、セレニウムが少なくなっていることもあるでしょうか。
本好 酸性雨中には硫黄酸化物が含まれますから、そういうことがあるかも分からないですね。セレニウムと硫黄は拮抗するので、土壌中に硫黄が多くなると植物中のセレニウム含有は少なくなる可能性はあります。
ミネラルマップ
本好 外国では、どの地帯はどのミネラルが不足だというミネラルマップが出来ています。
それで以前から、あの地域の牧草にはセレニウムが少ないとか、この川の流域には少ないとかいろいろ言われていたのですが、それが欠乏症として把握されるようになったのは70年代の初め頃です。
・・日本では、ミネラルマップは作られていないのですか。
本好 いや、日本でも徐々に作られています。しかも外国の比ではないほど結構細かく緻密にやっています。埼玉県と東京など、殆ど同じと思われる地域でも細かく違いを出しています。そうすると同じ河を挟んでこちらとこちらは違うとか、結構差があるのが分かります。
北海道でもよく走る馬の牧場を調べると面白いことがわかります。例えば水害で山が崩れるとミネラルが流れて、その時に出来た草は非常にミネラルが豊富になります。それで、その数年後にはすごく走る馬が出ることが多いのです。
そういう傾向があるということで、日本でも農林省や自治体などにやらせて今かなり進んでいます。ただ、あまり公表はしていません。
・・北海道の日高山脈を中心に東西とでは、セレニウム含有がえらく違うと聞きますね。
本好 はい、静内とか浦河とか海側には少ないと言われています。海側はヨードは多いのでしょうが、セレニウムは少ないのですね。
・・日本の土はカルシウムが少ないことが知られていますが、微量元素ではセレニウムの他はどうなのでしょう。
本好 セレニウムや銅、亜鉛、コバルトなど、今まであまり注目されなかった元素は全般的に少ない傾向にあるということが分かって来ました。
コバルトはかなり広域にわたって欠乏しており、牧草中のコバルト含有量が低いことが報告されています。コバルトはビタミンB12に必須ですが、欠乏すると、牛では食欲が落ちたり、長期間では生産性が低下することが認められています。
セレニウム強化の ミネラル固形塩
・・セレニウム欠乏が多いことが分かって、セレニウムを飼料に入れるようになったのですね。
本好 ビタミンEやセレニウムを投与すると欠乏症が予防出来ることから、飼料で何とか解決しようということになりました。注射では大変ですからね。
それで、日本でセレニウムが少ないと言われ始めた頃に、私の恩師に当る人がセレニウムに早くから注目しておりまして、塩にセレニウムを含めた9種類の微量元素を混ぜ合わせた「ミネラルブロック(ミネラル固形塩)」というのを日本で初めて作ったんです。それを牛に舐めさせるとものすごく良く舐める、健康にもなった。
このミネラル固形塩は常時舐食用として今、広く使用されています(表1)。
・・家畜は塩が好きですからね。
本好 馬、牛、羊、まー塩を一番好むのは人間なんですけれどもね。サラリーというのはソルトのことだから、我々塩が、サラリーが切れると生きていけない(笑)。
それで、セレニウムが全体的に低いということが分かって、今では最初の基準より、ぐっと増やしています。
・・ブロックの内容量を少し変えたのですか。
本好 ええ。ミネラルブロックでは、セレニウム量を従来の6倍量に増やしたということです(表1)。
セレニウムなどは極端に過剰になると害が出ますから、あまり多く与えると心配な面が出て来ます。牛自身の中毒症状だけでなく、例えば過剰な分は糞尿に排泄されるので排泄物が土に沁み込んで公害を起こすのではないか、或いは牛乳中に過剰に排泄されるのではないか、肉に過剰に含まれるのではないか、そういった人間の健康面も配慮しないといけません。
しかし、ヨーロッパやアメリカでは飼料のセレニウム要求量を上げても中毒症状が出ないということがはっきりして、安心して飼料の中に混ぜられるようになったのです。
とは言え、飼料への添加は非常に用心深くする必要があります。ミネラルブロックは、セレニウムが足りている牛に与えても安全な量を検討して増量されています。
もともとセレニウムは過剰症が良く知られていて、長生きすると発ガンにつながるとか、動物では急性中毒ですと沈欝、運動失調、早くて弱い脈をする、呼吸困難、最後には走れなくなるということがあります。慢性中毒ではびっこや爪や蹄の変形が起きることがよく知られています。
セレニウムが不足すると…
脂質の過酸化を、
予防するのはビタミンE
消去するのはセレニウム
・・セレニウムの体内での作用は、動物と人間とでは大分違うのですか。
本好 いや、基本的にはどちらも体内の抗酸化酵素「グルタチオン・パーオキシダーゼ」の主要構成成分として、その活性に働くミネラルとして重要になっています。
グルタチオン・パーオキシダーゼは、過酸化脂質や活性酸素の一つ「過酸化水素(HO)」を分解したり、除去したりする酵素で、細胞膜などの酸化的損傷を防ぐ重要な酵素です。
セレニウム(グルタチオン・パーオキシダーゼ)は、ビタミンEとよく似た働きをしますが、ビタミンEは過酸化の過程で出来た過酸化物や活性酸素を捕まえて安定化させるのに対し、セレニウムは消去する働きがあります。
ですから、脂質の過酸化防止にはビタミンE、できたものを消去するのにはセレニウムと、この二つは補完し合っており、協力して働かないといけないのですね。この二つが欠乏すると「ビタミンE―セレニウム欠乏症」を起こします。
ビタミンE―セレン欠乏症
・・欠乏症は、具体的にはどんなものがあるのですか。
本好 代表的なのは筋肉が白くなる「白筋症」。子畜が多くかかる病気で、これにかかると筋力が弱くなって馬なんか全然走れなくなります。
豚では「マルベリーハート(桑実心)」。心臓に桑の実のような出血斑がたくさん出来る病気で血管に病変を起こします。突然死のような形で発見されることが多いので、症状はよくわかっていません。
牛では「慢性の下痢」や「発育不全」。あと「不妊」、「流産」、「筋ジストロフィー」、非常にたくさんあります(表2)。
それでこういった病気に、予めビタミンEやセレニウムを与えると防げる、また、投与すると治るのですね。
・・これらの欠乏症は全て、細胞の酸化傷害によるものなのですか。
本好 それがそうとは限らない。セレニウムにしてもビタミンEにしても、抗酸化以外の働きがいろいろありますし、まだまだ分かっていない部分も多い。
ビタミンEの学名「トコフェロール」は、もともと"妊娠を維持する油”という意味であり、欠乏すると不妊や末梢血管の血行不良を起こすことで知られていたビタミンです。
・・人間の欠乏症と共通性はありますか。
本好 私は白筋症などは人間の筋肉にも起こる可能性があると思っています。証明はされていませんが、医学の分野で是非調べて欲しいところです。
不妊では、順天堂の千葉先生(『自然食ニュース』前月号掲載)のご研究でも、セレン不足はその可能性があるということですね。
また、生後6週間位の子豚に突然死が起きることがあるのですが、セレニウム不足が原因と言われています。人間の乳幼児の突然死も、セレニウム不足が原因ではないかとアメリカでは報告されているそうです。牛乳のビタミンEやセレニウム含有量は、母乳よりかなり少なくて、人工乳を与えた場合ですね。
ガン・免疫
・・ガンはどうなんでしょう。
本好 ガンというのは長生きをしたものに出来やすい、だから産業動物にはあまりないんです。
ただ、特別長寿というわけではないのですが、馬の中ではメジロマックイーンで有名な白い芦毛馬に肉腫が多いことが知られています。牛でも扁平上皮ガンが見られます。その他はあまりありません。
しかし、犬や猫は最近非常に長寿になって、ガンがすごく増えています。これは餌も関係しているかもしれません。今殆ど、ドッグフードやキャットフードなど作られた餌をやっているわけですね。そうすると、過酸化脂質や塩分の面で心配がないわけではありません。
・・エイズ病になった猫に、アメリカから取り寄せたセレン酵母をやったら、治ったというのですが。
本好 やはり関係があると思いますね。最近、セレニウムは感染や免疫領域で非常に注目されています。外国では獣医の分野の関心事はもはや欠乏症ではなく、免疫に焦点がいっているということです。
血中セレニウム濃度が低い牛では、ピロプラズマ原虫(赤血球にめり込むようにくっつく)に感染しやすいという報告があります。これは放牧で牛が山に行って運動する、そうすると酸素消費量が増えて、細胞膜の表面で過酸化が起きる。そのために感染が進むのではないかという気がします。
高能力に対応する セレニウム
・・競走馬に亜セレン酸ソーダを打つと聞いたことがありますが…。
本好 それは子馬の白筋症の予防のために、妊娠末期のお母さん馬に打つのですね。ESEという馬用のビタミンEとセレニウムの注射薬です。
・・早く走らせるためではない?
本好 それが走るということはすごく酸素を使うわけですね。そうすると、先程の牛の話と同じで、過酸化脂質が出来やすい状態になる。そこでセレニウムやビタミンEの要求量が上がるわけです。
馬は昔は1、600m走るのに約1分38秒かかっていたのが、今は1分32秒位で走るまでになって来ています。その酸素消費量たるやもの凄いもので、筋肉中のミオグロビン(筋肉中にあるヘモグロビンと似たヘム蛋白で、筋組織中に酸素を貯蔵する働きをする)などに耐えられないような過酸化物が出来てくるのではないかと考えられます。
ですから、高能力になると、血清中のセレニウムやビタミンE濃度が低くなることが報告されています(図)。
運動性向上の他、生産性を上げるために繁殖力を増やす、乳量を増やす、また、良い種を長く保存するために長寿にする必要もあります。
このように、獣医学でビタミンEやセレニウムが注目されているのは、こういった高能力に対応する動物を維持する目的も大きいと思います。
・・人間にも言えることですね。
本好 ストレス社会で、人間も高能力が要求される時代ですからね。適応力のないものは潰されてしまう。
実際、免疫や老化防止といった方向で、一致している面は大きいですね。
・・免疫向上や老化予防はまだしも、高能力維持や生産性向上にセレニウムやビタミンEというのは何だか悲しくもある話しですね。
本好 子供の頃から馬が好きでこういう研究に入ったのですが、いかに動物に快適環境を与え、動物自身にこれで幸せだったという思いで死んで貰いたいというのが私の切なる願いです。
動物にも
東洋医学思想が
漢方薬はミネラルが豊富
・・人間ではセレニウムの薬はないそうですね。
本好 日本では認可されていないですね。健康食品の形でセレニウムが豊富なものを摂るしかないです。
不老長寿に良いと言われる朝鮮人参はセレニウムが豊富なものだけが効くといわれます。そうなると朝鮮半島の北のものに限るということになるようですね。他の地域で栽培されたものはセレニウムの含有が少なくて、それ程効果がないと言われています。
・・先生は獣医東洋医学研究会の会長も兼任されていらっしゃるとのことですが、獣医の分野でも漢方が相当採り入れられて来ているのですか。
本好 最近、獣医さんもよく漢方薬を使っています。研究会では情報を持ち寄って、いずれは動物用の漢方を確立しようと勉強しています。
・・何故、漢方なのですか。
本好 結局、西洋医学は即効性があって抗生物質などを使えば炎症がすぐ取れる。ところが一方で、免疫力を抑えてしまう。
動物でも風邪を引くわけですが、ワクチンなどでせっかく免疫抗体が上昇していても、風邪薬で免疫抗体を皆抑えてしまう。ところが漢方を使っていると免疫力が落ちない。風邪薬をやる時にも、漢方と併用すると落ちないのですね。
・・朝鮮人参に限らず、一般に漢方にはミネラルが多く入っていると聞きますね。
本好 入っています。だから非常に大事なのです。
・・だから免疫を落とさないということもありますか。
本好 それもあるかもしれません。ただ、なかなか証明が難しいのですね。
ミネラルと漢方をうまく組合わせて、吸収力を上げたり、効果を上げたりすることも考えられます。西洋医学でも東洋医学でも、もう組合わせなければ駄目なんですね。その中で、ミネラルはうまく触媒の働きをすると思います。
胃腸の働きと ミネラルの吸収
・・今、アトピー性皮膚炎とかアレルギーが増えていますが、動物はどうなんでしょう。
本好 ペットの猫や犬に非常に皮膚病が増えています。
皮膚病のミネラルとしては亜鉛が有名です。亜鉛が足りないと「パラケラトーシス(角化不全症)」といって皮膚の代謝が悪くなり、角化が途中で止まって皮膚が新しく変らない。フケがどんどん出て、固く厚くなったフケがべろっと剥けて皮膚病になります。
豚などでは、餌のカルシウム過剰で亜鉛欠乏を来して、パラケラトーシスを起こすことがあります。
お米を精白する時に石粉を入れるとつるつるよく剥ける、そうすると米糠のなかに石粉が混じる、それを豚の餌として与えるとカルシウム過剰になります。胃から出る塩酸の量というのは一日一定量決っていて、カルシウムが過剰だとカルシウムを溶かすのに塩酸が使われてしまい、亜鉛などを十分溶かすことができないのですね。そうすると消化管の中を通過してしまって、糞に排泄されてしまう。
餌を調べて見ると亜鉛は入っている、それでは吸収の状態で何か起こっている、カルシウムつまり石粉の過剰だと分かったのですね。
それが原因で鉄欠乏も起こします。豚の鉄欠乏症はすごく多くて、鉄欠乏性貧血になるんです。
・・カルシウムが優先的に塩酸を中和してしまうのですか。
本好 そうです。ですから中和し過ぎてしまうと他のミネラルは吸収されなくなる。胃袋ではpHは2なのです。2の状態ならば吸収ができる。
・・イオン化されて可溶性になると吸収されるということですか。
本好 ではないかと思います。胃の幽門が十二指腸につながっていますね。十二指腸は非常に短く、15cm位しかない。この15cmの間で、食べ物がまだ酸性のうちにミネラルは吸収しなければなりません。胆汁とすい液が出て来て十二指腸後半で食べ物がアルカリになると、またミネラルは不溶性になってしまいます。
胃腸が丈夫だと体全体も健康だと言われるのは、ミネラルの吸収が良いことにも関係しているのです。豚には胃潰瘍が多発するとされていますが、胃や十二指腸を気軽に取っちゃうなんてのはとんでもないんです。
・・今日はお忙しい中、貴重なお話ありがとうございました。
(インタビュー構成 本誌 功刀)