クオリティ・オブ・ライフの実現とミネラルの重要性
順天堂大学医学部衛生学教室 千葉百子助教授
高齢化社会で求められる クオリティ・オブ・ライフ(質の高い人生)
高齢化社会の到来で、人々の関心は寿命よりも人生の質を高めることに向きつつあります。
最近は医学の分野でも、クオリティ・オブ・ライフが言われるようになって来ました。末期ガンに対するホスピスケア(終末ケア)や尊厳死もその一環です。寝たきり、ボケ、薬漬け、体に何本もチューブをつっこまれ、機械に囲まれて命を長らえるのでは、クオリティ・オブ・ライフとはほど遠いと言えるでしょう。
このような末期医療もさることながら、肉体的なクオリティ・オブ・ライフの基本は健康に生きることであり、病気の予防は確実にクオリティ・オブ・ライフの実現につながります。"病気になる前に病気を予防する”この鍵を握っているのが日常的な食事や栄養の摂取です。その中でも現代では特に、ビタミンやミネラルの微量栄養素の重要性が高まっています。
順天堂大学の千葉百子先生は、生体内の微量元素の分析を長く研究され、クオリティ・オブ・ライフにおけるミネラルの果す役割を重要視されています。
今月は千葉百子先生に、クオリティ・オブ・ライフの観点から、広くミネラルのお話を伺いました。
ビタミンの歴史を辿る
ミネラル
悪玉から善玉へ、
増え続ける必須ミネラル
・・先生が微量元素を研究されるようになったのは鉛作業者の検診からということですが、アメリカなどでは栄養学の分野でミネラルが注目され、クオリティ・オブ・ライフの実現に役立つことが言われていますね。
千葉 栄養学や予防医学(分子矯正医学)の分野でミネラルが注目されるようになったのは、微量元素を測定できるようになったのが大きいですね。
測定技術が進む中で、生命や健康の維持に不可欠な「必須微量元素」の存在が次々に明らかにされ、1970年以降、多くの微量元素の必須性が認められました(表1)。
・・一昔、二昔前の推理小説に盛んに登場する古典的な毒物、ヒ素も仲間入りしていますね。
千葉 ナポレオンの死後毛髪からヒ素が多量に検出されて、毒殺が疑われる根拠にもなっていますね。ヒ素は人ではまだ必須性が確認されていませんが、山羊や豚の成長・繁殖には必須であることが証明されています。
ヒ素に限らず、以前はセレニウムやバナジウムも有毒元素とされていましたね。微量元素は過剰に摂れば有害性を発揮するし、微量ではなくてはならないもので、有毒と必須の明確な色分けが難しいのです(図1)。
85年以降に入ると、イタイイタイ病で知られるカドミウムなども必須の可能性が言われています。
いずれにせよ、測定や分析を始めとする革新技術の進歩で、これからもまだまだ必須微量元素は明らかになっていくと思います。
ミネラルは細胞を円滑に 働かせる潤滑油
・・必須性(必要性)は欠乏した時に欠乏症が出たり、生命維持が困難になるなどで決定されるのですね。
千葉 そうですね。ミネラルはビタミンの歴史と非常に良く似ていると思います。
ビタミンの多くは偶然に欠乏症が発見されて、生命の維持に不可欠な存在であることが明らかにされて来たわけですが、ミネラルも同じような経緯で必須性が確立されて来ています。
ビタミンに比べ、欠乏を推測される微量元素を投与すると回復する・・ということを直接証明するのが難しかったのは、測定が困難だったのが大きな理由です。
・・健康維持や病気予防の目的で、ビタミン剤の摂取がポピュラーになっていますが、いずれはミネラルもそうなるでしょうか。
千葉 機能性食品が出回り始めている今日、日本でも遠からずそうなると思います。アメリカなどでは既にそうなっており、ミネラルのタブレットが簡単に手に入ります。
結局、ビタミンもミネラルも潤滑油なんですね。潤滑油が足りないと歯車がうまく回転しないように、細胞の代謝が正常に円滑に働くためにミネラルやビタミンは大事な働きをします。これがクオリティ・オブ・ライフに結びつくわけですね。
有害金属の汚染から
身を守る
ミネラルチェックの重要性
・・クオリティ・オブ・ライフということでは、私共は有害金属の汚染や、不足するミネラルの傾向をチェックするために、毛髪分析を推進しています。
ミイラと比べると歴然と分かるように、現代人はかつて経験したことがない多くの微量有害金属に汚染されています。それを何とかするためにも毛髪分析の意義は高いと思うのですね。
千葉 毛髪は便や尿と共に、ミネラルの重要な排泄器官です。毛髪中のミネラルを定期的にチェックし、クオリティ・オブ・ライフの参考にするのは大変良いシステムだと思います。
将来的には人間ドックなどでもミネラル分析が導入され、健康状態の把握や病気診断の参考にするようになると思います。
身の回りにあふれる 有害金属 (大気・タバコ・塗料・廃棄物)
〈鉛〉
・・慢性的汚染にさらされている有害ミネラルは身の回りにあふれていますが、先生が研究されている代表的な例をいくつかあげて下さい。
千葉 20年位前、新宿牛込柳町の交差点付近(谷間のために車の排気ガスが渦状にたまりやすかった)住民の血中鉛濃度が異常に高いという騒ぎがありましたね。因果関係は明確にされなかったのですが、それからガソリンは一応無鉛ということになり、一般の人の鉛濃度が相当下がりました。
私どもは毎年作業者の検診をしてますので、その時に必ず対象を取ります。その対象者の鉛濃度がぐんと下がっています。統計は取っていませんが、10年前と今を比べれば明らかな差が出て来ると思います。
鉛は空気からだけでなく飲食物からも入りますから、多少のバラツキがあるとは思いますが…。
・・水道の鉛管も未だに問題になっていますしね。しかしやはりガソリンが一番大きい?
千葉 大きいと思いますね。
鉛はヘモグロビンを作る酵素の一つを阻害するので、貧血などをもたらします。
・・タバコを吸う母親の子供に血中鉛濃度が高く、学習障害がみられるという報告もありますね(表2)。
千葉 タバコの鉛は、肥料や殺虫剤から入って来ます。
喫煙する母親の子供の鉛障害ですが、脳には有毒物質の脳の通過をストップする「脳血液関門」というのがあります。子供の鉛に対する脳血液関門が形成されるのは学童期なので、小さい時期だと脳に通過してそれが知能障害と結びつくわけです。
また、アメリカで問題になった子供の鉛中毒は、貧民街で家のペンキがはげ落ちると、あのペンキに鉛が含まれていて、それが甘いんですね。スラム街の子は菓子の代りにペンキのはがれたのを食べて鉛脳症が多かったのですね。
・・ペンキの白い顔料ですね。
千葉 日本でも、食器の絵付けに使う顔料に鉛やカドミウムが入っています。それで食器は溶出試験(酸を入れて一晩置く)をして、鉛やカドミウムが溶け出してはいけないという規則があります。
安物の中華皿が溶出しやすいのは、低い温度で焼くために色の焼きつけが悪いからですね。中華皿に特有の黄色はカドミウムの色です。
・・鉛は骨にカルシウムが吸着するのを阻害するともいわれますね。
千葉 鉛も骨の中に蓄積されますが、骨はカドミウムが一番関係します。鉛が骨の中で半減する期間は20数年と言われます。長い期間体内に蓄積されますから、そこで何かは起こるでしょう。しかし骨に関してはカドミウム程の影響はありません。
〈カドミウム〉
・・カドミウムの骨障害はイタイイタイ病が有名ですね。
千葉 腎臓障害から始まって骨軟化症を起こすのですね。
稲は土壌中のカドミウムを根から吸い上げて、お米に蓄積する性質を持っています。イタイイタイ病では鉱山から流れたカドミウムが、魚や飲料水の他に、お米にも高濃度に蓄積されたのが原因になっています。
稲のカドミウムでは、センターラインのカーブをしているところの稲に高いという研究もあります。追い越し禁止車線の黄色から来るカドミウムだったことが分かり、車線の黄色の顔料はカドミウムを含まないものに代りました。
・・カドミウムはタバコにも多いですね。
千葉 タバコも、根から土壌中のカドミウムを効率良く吸い上げて、葉に蓄積する性質があります。ニッケルもそうですが、カドミウムの方が多いです。
喫煙者の血中や腎臓中のカドミウム濃度は、吸わない人より多いことが報告されています。ただ、タバコ中のカドミウムやニッケルの健康障害は明らかにされていません。
タバコ中の金属とガンとの関係では、ニッケルと放射性ポロニウム(Po210)、この二つが喫煙者の喉に多いということが分かっています。アメリカでは今ポロニウムが増えているそうで、アメリカで肺ガンが増えて来ていることに関係しているとも言われています。
・・ニッケル・カドミウム電池がありますね。あれなどもその辺にポイっと捨てると危ないですね。
千葉 酸性では溶け出すので、酸性雨がらみで考えるとやはり危険になりますね。
先端産業では希土類元素を多用するのですが、その生体影響が全く分からない。それで先端産業の廃棄物が酸性雨で溶け出た場合、生体に影響が出るのではないかと、今私達はプロジェクトを組んで研究をしております。日立のキドカラーというのは希土類元素のキドですね。
〈スズ〉
千葉 身の回りの有害金属ということでは有機スズも毒性が高く、体内に蓄積されやすい。現在、有機スズ化合物は防腐剤、防水剤、殺菌剤、殺虫剤、除草剤等いろいろ使われています。
・・魚網や船底の塗料に使われる有機スズ(トリブチルスズやトリフェニルスズ)が海洋汚染を引き起こして、魚が売れなくなった騒ぎがありましたね。
千葉 それで使用の規制が敷かれましたね。
ただ、食品を分析してみたところ、有機スズは脂溶性なので腹ワタに圧倒的に多く、人間の食べる部分には意外と少ないのです。自然の摂理に見事に適っているなと思いましたね。
ただし、脂身の多いブリやハマチは可食部にも多い。脂っこい魚や腹ワタが好きな人は要注意です。
・・有機の形になると吸収されやすいのですか。
千葉 吸収されやすいのではなく蓄積されやすいのです。ですから無機スズはあまり蓄積されない、一方、有機スズは蓄積性が高く、脳を通過して神経障害などを起こします。ただ、無機スズは骨に入るので、骨粗鬆症の関係がどうかなと今思っています。
このように同一元素でも化学形態、つまり元素がどういう形をしているかで生体内での作用は違って来るので、そこが大きな問題になります。
今、注目を浴びているセレニウム
セレニウムは、
有害金属を解毒する
・・こういった有害金属の毒性を緩和する働きが、セレニウムにはあると言われますね。
千葉 鉛、スズ、カドミウム、水銀、ヒ素、重金属は大体そうです。但し、鉛に対しては亜鉛の方が効果があります。
セレニウムが有害金属の毒性を緩和するのは、体の中からそれを追い出すのではなく、互いに働きを不活性化して体内に溜まっているわけです。
水俣病患者にはセレニウムも多く、一時期水俣病のセレニウム原因説がありました。結局、水銀の毒性を緩和するために、水銀濃度の高いところにセレニウムが集るという自然の摂理、メカニズムであったのです。
・・魚自身には水銀も多いけれどセレニウムも多いのは、そういう関係だったのでしょうか。
千葉 そうだと思います。魚も水銀の毒性を緩和するために、そこにセレニウムが集っていたわけですね。
・・水俣病の患者にセレニウムを大量に与えていたら、どういうことになっていたでしょうか。
千葉 セレニウムが相手方の毒性を緩和するのは、相手方と等量以上ないと駄目だと言われています。しかし、それ以上に与えればやはりセレニウムの毒性が出て来るでしょうね。
自然というのは本当にうまくバランスをとっているのだと思います。
セレン豊富なお茶で 子供を授かる
・・先生のご研究では、不妊外来(順天堂医院)を訪れる男性の精液にセレニウムが不足しているということですね。
千葉 精液を精子と精漿とに分けますと、セレニウムは精子の方に圧倒的に多く、精子数と関係することが分かりました。
それで、精子数の少ない人では精液中のセレニウム濃度が低いのです。
・・それでは男性の不妊症にセレニウムを与えたら治療は可能ですか。
千葉 精子数を増やしたり、運動性を高めたりする可能性は考えられますが、何とも言えませんね。セレニウムを摂取しても、どの位生殖器に行くかも分かっていません。これからの研究課題です。
・・それでも一般に、セレニウムを多く含む食品を摂れば、セレニウムが必要とされるところに行くということはありませんか。
千葉 やはりそれはそうだと思います。
最近、とても面白い手紙を中国の西安の方から戴きました。中国ではセレニウムが豊富なお茶というのを売っているそうです。その方の友人に子供の出来ないカップルがいて、そのお茶を飲んでいたら子供を授かったということでした。
このケースでは無機の亜セレン酸ソーダではなく、お茶を飲んだのが良かったのだと思います。お茶というのは先祖代々つちかってきた産物で安全性が確認されている上に、セレニウムだけでなく同時に他のミネラルも入っている。その相互作用で良い結果を生んだと思います。
・・他のミネラルで不妊症に関係するものは?
千葉 実は、精液の分析はスズに興味があって始めたのです。スズは必須と言われていますが何故必須かはっきりしない。男性の精巣中にスズ濃度が高く、年齢と関係している実験結果を得ていたので、生殖機能の関係で必須性が分かるかと思って調べました。しかし精液中には殆ど検出されなかったので、スズは実質器官の方に必要なのだと思います。
それで、スズだけ測定するのは勿体ないので、10数種類の元素を測定していろいろなパラメーターと相関させたところ、セレニウムが一番生殖機能と関連があったのです。
「男性のミネラル」と呼ばれる亜鉛は、精子濃度や奇形率などの相関はありませんでした。亜鉛も実質器官の方で意味があるのだと思います。
セレニウムの必要量と サプリメントからの摂取
・・現代人の大きな問題点として、体の中での酸化、よくいわれる活性酸素があると思います。
抗酸化作用、抗ガン作用で知られるセレニウムは、活性酸素対策としても重要になると思いますが、そのための必要量はどの位でしょうか。
千葉 セレニウムは必要量と中毒量の幅が狭く、過剰になると毒性が出るし、不足してもいけないミネラルなのですね。
・・しかし一定量は摂らないと効かないわけですね。日本人の食生活では100〜200μg入って来るといわれますが、魚を食べる日本人は水銀なども多いので、そういう汚染から身を守るにも500〜700μgは摂った方がいいとも聞きますが…。
千葉 セレニウムだけを摂っているわけではないですから、結局相互作用の問題ですね。
動物実験で、セレニウムを単独で100マイクロモルプロキロ打ちますと、翌日までに全滅します。ところが鉛、スズ、カドミウムなどを同時に与えると死にません。
セレニウムの毒性を同時に投与した他の金属が保護し、また一方で、相手側の毒性をセレニウムが保護するわけです。水銀の場合と同じですね。
・・そうすると、サプリメント(栄養補助食品)で摂る場合、単独で摂るより総合タイプで摂った方が安全といえますか。
千葉 そう思います。栄養補助食品ではセレニウムは酵母に食べさせたものですね。そうした場合お茶の話でもあったように、酵母に含まれている他のミネラルも一緒に摂ることになりますから、我々が実験で用いる亜セレン酸ソーダなどよりはずっと安全だと思います。
・・ビタミン剤並になるだろうとのことですが、至適濃度範囲(図1)の狭いミネラルでは難しいですね。
千葉 そこは毛髪でチェックすれば出来るわけですね。
食べ物でも栄養でも、適度ということが大事です。やり過ぎは全ていけない。セレン製剤を医科向けでいいから出して欲しいと思っているのですが、一日当り300μg程度のものだと思いますね。動物実験から概算するのだと思いますが、安全率をいくつかけるかで決まるのでしょうね。
クオリティ・オブ・ライフの実現は、
「食」が基本
農薬・化学肥料の問題点
千葉 食事と微量元素ということで是非注目して戴きたいことは、昔は排泄物を堆肥化して肥料としていましたね。こういった有機農法では、自然にいろんな超微量の元素が豊富になります。
それが農薬・化学肥料の農法では全然注目していなかった超微量元素などが知らない間に欠乏し、土壌が痩せる、痩せるからまた化学肥料を入れる、そうするとまた欠乏する・・という悪循環が出て来ると思うのですね。これはちょっと怖いなという感じがします。
最近の野菜は栄養価が落ちて来た、水っぽいなどと言われますが、それは水分が多くて栄養価が落ちたわけではなくて、全然測定もしていないような生体必須元素が欠乏していることもあると思います。そういう意味からも、自然食の利点が出て来ると思います。
健康は自分で守る
千葉 現在寿命が延びていますが、楽しく人生を過すことができないと意味がありません。今フィットネスクラブがいろいろ繁盛しているようですが、生命の基本は「食」にあるわけです。そして「食」を通じてのクオリティ・オブ・ライフは、自分自身に責任がある。身体的なクオリティ・オブ・ライフも、自分自身が責任を持たなければならないということでしょう。
・・先生ご自身はどういうことに注意されていますか。
千葉 食品はなるべく同じ産地、メーカー、店で買い続けるということは避けています。牛乳一本買うのでも、いろいろなメーカーの牛乳を飲みます。
産地によって含まれている微量元素が微妙に違うし、極端に言えば何かで中毒するということも避けられますね。
そうすると、何か目に見えない微量元素、微量栄養素が違うと思いますね。
(インタビュー構成 本誌 功刀)