体内のミネラルバランスの重要性と、現代社会における毛髪分析の有効性

大妻女子大学 社会情報学部教授(工学博士) 大森佐與子先生

健康の鍵を握る 体内のミネラル濃度バランス

 近年、環境汚染と食生活のアンバランスが体内のミネラルバランスを崩し、さまざまな健康障害をもたらしていることが次第に明らかになっている。
 体内のミネラル濃度バランスを正常に保つことは健康の鍵を握ることになり、予防医学の観点から、毛髪によるミネラルバランスのチェックが注目されている。
 今月は、毛髪のミネラル濃度バランスから、体内の栄養状態と病態を検討されている大妻女子大学の大森佐與子先生に、体内のミネラルバランスと健康との関連、及び、現代社会における毛髪分析の有効性についてお話を伺った。

健康とは ホメオスタシスが 維持されている状態
鍵を握る ミネラル濃度バランス

先生は、体内のミネラル濃
度バランスと健康に関する研究をされていますが、体内のミネラルバランスが健康に重要なかかわりを持つのは何故でしょうか。
大森 人体は一大化学工場と呼ばれています。これは、体内に摂り込まれた食物や水、空気が、体の中でさまざまな化学反応を起こし、細胞の新陳代謝をはかり、この代謝活動によって生命が維持されているからです。
 この化学反応の触媒に必須なのがミネラルで、ミネラルは体内において微妙な量的バランスを保持して、生体のホメオスタシス(恒常性)を保っています。
 このホメオスタシスが維持されている状態が即ち健康であり、健康であれば、人間の体は多少の有害物(細菌、ウイルス、放射線、有害金属、有害化学物質、ストレスetc)にさらされても、それに抵抗する力が働き、すぐに元に戻る回復力を示します。
 反対に、病気とは、抵抗力がなくなってホメオスタシスが維持できなくなった状態です。この時生体では、ミネラル濃度バランスは崩れ、代謝のメカニズムに狂いが生じていることが分かっています。
 このように、ミネラル濃度バランスを保つことは、抵抗力の保持・強化にもかかわり、健康の維持に不可欠な要素となります。
体内のミネラル濃度バラン
スが一定に保たれているとは、具体的にはどういうことでしょうか?
大森 体内のミネラル濃度が一定に保たれるとは、例えば食塩濃度、カルシウム濃度、亜鉛濃度などが一定に保たれるということです。
 ミネラルは体内で、互に拮抗したり、協調し合って働きます。ですから、必須ミネラルはどれ一つ欠けることなく、過不足無く一定量保たれていなければ、正常なミネラル濃度バランスを維持できません。
 ミネラル濃度バランスが正常に維持されれば、代謝のメカニズムが正常に働き、ホメオスタシスが保たれます。

現代社会における 毛髪分析の有効性
毛髪は金属の排泄器官

そうしますと体の健康状態
を調べるのに、ミネラル濃度バランスのチェックは有効な手段となるわけですね。
 先生が体内のミネラルバランスをチェックするのに、試料に毛髪を用いられる理由は?
大森 私は体内のミネラルバランスを知る上で毛髪は優れたモニター試料と考えています。
 その理由は、
・毛髪は金属の排泄器官の一種であること
・毛髪は血液や尿と違い、試料の採取が簡単であること
・毛髪分析に放射化分析法が適用されるようになって、同時に多種類の元素とその割合(濃度バランス)がチェックできるようなったことなどが上げら
れます。
「毛髪は金属の排泄器官の
一つである」という根拠は?
大森 毛根は、DNAの生合成が生体で一番活発だと云われています。しかも毛根にはSHD(システイン基)が多いことから金属と結合しやすく、追い出し効果が大きいということではないでしょうか。
 毛髪は生え変わりのおそい生体材料であり、血中濃度といつも同じにならないとおかしいというのも、一概に云えないのではないかと思います。
 毛髪からは、血液や尿に比べ多種類の金属元素が高濃度に検出されます。血中濃度と比較しますと、多くの元素において、おおよそ10〜100倍も多く検出され、尿からは極く微量しか排泄されません。(図1)
 このようなことから、毛髪は金属の重要な排泄器官の一つであると考えられます。
 生化学検査材料には、血液あり、尿あり、毛髪ありで良いのではないでしょうか。
毛髪が金属の重要な排泄器
官であるとすると、有害金属汚染にさらされている現代では、毛髪による健康チェックはより意味を持つと言えますか。
大森 外的要因の問題が若干ありますが、そう言えると思います。
 日本での重金属汚染による健康障害は水俣病(水銀汚染)やイタイイタイ病(カドミウム汚染)などの公害病が有名ですが、これらの公害病の原因追究にも毛髪分析が役に立っています。
 公害病の場合は、有害金属がどのくらい取り込まれているかを、地域別、職業別などに分けて、集団比較する必要があります。その場合、採取が簡単な毛髪は、多数の検体数の確保が容易です。また、一旦毛髪に取り込まれた金属は血液と違って含有濃度が不変です。さらに、毛の伸びる速度は1ヵ月に約1cmですから、毛根からの長さで汚染時期を推定することも出来、異常に取り込んだ時の様相や、汚染推移の追跡調査も可能です。ナポレオンの砒素による毒殺説はその一例です。
 ことに、日本人の場合は、同一人種で髪の色が一様に黒いため、毛髪分析による集団比較調査に適しています。毛髪ミネラル濃度は髪の色によって異り、例えば赤毛だと鉄が多いのですが、ヨーロッパやアメリカなど多様な人種や血統が混在している地域では、正確な比較調査ができにくい面があります。
 現代では、公害のような局地汚染ばかりではなく、環境汚染が全地球的に拡がり、個人レベルでも有害金属の取り込みが心配されます。
 体内に取り込まれた有害金属は、体内のミネラルバランスを崩し代謝を狂わせ、体に種々の異常をもたらしますので、毛髪分析で有害金属の取り込みをチェックするのは、健康を維持する上で有効と思います。

毛髪のミネラルバランス からみた健康障害
1.急性クロム中毒症患者の 毛髪ミネラルバランスからみた 健康の回復

毛髪ミネラル濃度バランス
と健康との関連を端的に示すケーススタディはありますか。
大森 生死をさまよう重度急性クロム中毒症の患者が完治する迄の、毛髪ミネラル濃度バランスの経時的変化を検討したことがあります。発症当初はミネラル濃度バランスが大きく崩れていましたが、症状が回復するにつれて正常範囲に戻っていくのが認められました。
 患者は9歳の男子で、学校帰りに工場の6価クロム廃液(クロム硫酸液)に足をつっこんで火傷となり、急性クロム中毒症を起こしました。火傷部を水ですぐに洗浄したものの、家に帰る途中で既に嘔吐が始まり、救急車に運ばれて緊急入院したものです。
 皮膚から侵入したクロムは血球に入り、患部の火傷と嘔吐は深刻で、入院後一両日には尿閉塞を起こしました。16日間にわたって腹膜透析と静脈栄養の点滴が試みられた結果、次第に回復がみられ、入院82日後に退院できました。しかし、外来診療は続けられ、結局、完治する迄には4年近くかかっています。
 図2は入院時の、図3は完治した時の毛髪ミネラル濃度バランスを表したものです。症状が重い時程、ミネラル濃度バランスが異常値を示していることが読み取れますね。単にクロム(Cr)濃度が高いばかりではなく、カルシウム(Ca)の異常低値、鉄(Fe)と亜鉛(Zn)の異常高値が目立ちます。
 それが、症状が回復するに従って正常なミネラル濃度バランスに移行し、完治した時には全てのミネラル値が正常範囲に戻っています。
両図からは、毛髪のミネラ
ル濃度バランスと健康との密接な関係がよく読み取られますね。
大森 このケースの他に、水銀やヒ素中毒患者の毛髪ミネラルバランスの検討でも、単に水銀やヒ素の値が高いだけでなく、他のミネラル濃度バランスが正常人とは異なった状態を示します。そして、回復するに従って正常になっていくことが認められます。
※クロム(Cr)及びクロム中毒症
 6価クロム、3価クロムの形で存在する。6価クロムは毒性が強く、3価クロムは必須ミネラルである。
 クロム酸塩、重クロム酸塩による急性中毒は、その腐食作用、酸化作用に起因する。
〈クロム中毒〉
 主に呼吸器、皮膚から吸収される
1.急性中毒 粘膜を強く刺激し、火傷、口腔咽喉の疼痛、嚥下困難、嘔吐、腹痛、下痢などの症状を起こす。重度急性中毒症では、毒物性腎炎により乏尿、無尿、尿毒症を招き、腹膜透析を行わないケースでは死に致る。また中毒性肝炎も起こす。
2.慢性中毒 鼻中隔の潰瘍と穿孔(chrome hole)、慢性気管支炎、肺ガン、皮膚炎、アレルギー性湿疹(chrome eczema)などを起こす。肺ガン発生率は非被曝者の15〜30倍という報告がある。
 クロム中毒は、染色、皮革、メッキ、写真、化学肥料、合成化学などの各工場に多く発生している。
〈排泄する迄の期間と経路〉
 大森先生らのケーススタディでは、毛髪クロムの生物学的半減期(量が半減する期間)は540日で、排泄されるまでに相当の時間がかかることがわかった。(図4)
 クロムの排泄経路は毛髪の他、腎臓を経由して尿に、腸管を通して胆汁、糞便に排泄される。

2.アルツハイマー型痴呆は アルミニウムが低値

病気によって、毛髪中のミ
ネラル濃度バランスは特有の傾向を示すとのことですが、それについてのケーススタディを、お聞きしたいと思います。
大森「アルツハイマー型痴呆の脳中アルミニウム濃度は正常の人より高い」という研究から、私達はアルツハイマー型痴呆の毛髪ミネラル濃度バランスを検討し、特にアルミニウムとの関連に注目しました。
 比較対象としては、脳血管性痴呆者と高齢正常者の毛髪ミネラル濃度バランス、及び、アルツハイマー型痴呆の血清ミネラル濃度バランスを取り上げました。
 その結果、アルツハイマー型痴呆においては、アルミニウムが際立って低値を示したのが特徴的で、アルミニウム以外は正常値の範囲(±2σ)を示しました(図5)。一方、同じ高齢型痴呆でも、脳血管性痴呆者では、特にアルミの低値はみられませんでした。(図6)
アルツハイマー型痴呆者の
毛髪アルミニウム濃度が極端に低いのは意外ですね。どのように考えられますか。
大森 正常者の毛髪アルミ濃度も高齢化するにつれて低値の傾向を示し、反対に脳中アルミ濃度は加齢に従って増加し、特に大脳の海馬では最も高い値を示すという報告があります。
これは、高齢になると腎機能の低下等も関係してアルミが体外に排泄されにくくなるからだと考えられています。(アルミニウムは腸管から0・5〜2%吸収され、尿中に排泄されるといわれます。)
 アルツハイマー型痴呆患者の場合、毛髪アルミ濃度は平均値より1桁も低く、大半が1ppm以下で2・5ppmを超える人は全くいないことから、蛋白の代謝等が正常の人と異なる結果ではないかと推測されます。
東大医学部の湯本先生らは
「体内に取り込まれたアルミが脳に蓄積され、神経傷害をもたらす」というアルツハイマー病のアルミ原因説を裏付ける研究成果を上げています。
 アルツハイマー型痴呆者の毛髪アルミ濃度低値も、アルミニウムの排泄能力が低下した結果とは考えられませんか。つまり、摂取されたアルミの排泄がうまくいかないから、脳にたまってしまうとか。
大森 脳に蓄積されるアルミが違う経路から排泄されるかは定かではありませんが、その可能性が全くないとは言えませんがね。果たして、どうでしょうか。
 今回、アルツハイマー型痴呆の毛髪アルミ濃度低値と痴呆の関係を探るために、追跡調査として「ダウン症患者の毛髪アルミ濃度」を調べてみました。
 ダウン症は21番目の遺伝子に異常が認められる症状ですが、アルツハイマー病の遺伝子は21番目にあるという報告があり、ダウン症の毛髪アルミ濃度を検討してみたのです。
 その結果、ダウン症患者には毛髪アルミ濃度が有意に低値を示した人と、そうでない人の二群が認められ、相対的に両者は異なります。この低値は降圧剤服用と関係があります。
 この研究からも、アルツハイマー病の毛髪アルミ低値と痴呆とを関係づけるのは難しいと、今の段階では考えられるのですね。
 アルツハイマー型痴呆の血中アルミニウム濃度は、非常に高い患者さんと、非常に低い患者さんの2つのグループに分けられました。この理由は不明なのですが、果たして、それと関係しているか、これもちょっと今の段階では判断できません。
※1.脳中アルミニウム濃度
 正常人0.38〜4.77ug/gに対し、アルツハイマー型痴呆は3.61〜21・7ug/g。
※2.アルツハイマー型痴呆の血中アルミニウム濃度
・高値群 平均27.4±6.2ppb(n=9)、最高35ppb
・低値群 平均6.0±3.2(n=6)
・全体平均 17.8±12ppb(n=23)
・参考 脳血管性痴呆は最高10ppb、平均5.3±7.4(n=22)

3.その他の疾病と 毛髪ミネラル濃度 バランスの特徴

他に、特徴的な毛髪ミネラ
ル濃度バランスをみせる疾病はありますか。
大森 ガンの種類によりますが、ガンの患者さんの毛髪ミネラルは、正常な人に比べて亜鉛が極端に低かったですね。亜鉛が不足すると免疫機能が低下することが知られていますが、ガン細胞が増殖する過程で亜鉛を取り込み、血中濃度は低くなるという実験結果もあり、興味があるところです。
 また、病気の人はヨウ素がおしなべて高いですね。それほど多くの病気の種類を検討したわけではありませんが。

健康な生活を送るための 四つの条件
最も重要なのは 正常なミネラル濃度バランス の維持

健康障害があると毛髪ミネ
ラルバランスが異常になる、疾病によって特有のミネラル濃度バランスがみられるという
ことは、毛髪分析は病状の把握や病気診断の有効な補助手段となる上に、病気の予防にも役立ちますね。
大森 そうですね。
 健康障害が本格的に現われる前に、人体は必ず何らかのシグナルを発しているはずです。それを見過ごさないことが予防医学の前提です。毛髪のミネラル濃度バランスの定期的なチェックで、異常をより早くキャッチすることが可能だと思います。
 ですから、私は常々、健康診断には血液や尿検査と共に毛髪分析を採用して欲しいと願っているんですよ。毛髪分析に健康保険が適用されれば、多くの人が毛髪分析を受けることが出来、ミネラルの重要性も認識され、病気の予防は一段と進むのではないでしょうか。
栄養状態の把握にも、毛髪
分析は役立ちますね。
大森 勿論、そうです。
 私は定期的に自分の毛髪分析を行っているのですが、以前、大豆プロテインを摂っていたことがあって、その時は極端に亜鉛の値が低くなりました。あれには吃驚致しましたね。
 大豆にはフィチン酸が多く含まれているのですが、フィチン酸というのは亜鉛属のミネラルの吸収を妨げるのですね。
 ガンの患者さんの毛髪亜鉛が低値を示すと先程お話しましたが、今、全般的に亜鉛の摂取が少ない傾向にあるんですね。亜鉛は免疫力と関係するミネラルなので、これは問題だと思います。亜鉛の摂取不足が、ガンの増加と関係しているかもしれません。
今、食事がメチャクチャで
すね。ミネラル濃度バランスを正常に維持することが、これ程深く健康にかかわっているとすると、そこからも食生活の見直しが図られるべきですね。
大森 ええ。健康な生活を送るためには、ミネラル濃度バランスを正常に維持すること、抵抗力をつけることが不可欠です。
 そのために、日常生活では次の4つの条件を守ることが大切と思います。
・十分にバランスのとれた栄養を確保する
 それには、毎食、多種類の食品をまんべなく摂ること、一度に同じものを多く食べないことです。それとミネラルの吸収を阻害する添加物に注意する、農薬や有害金属に汚染された食物を避けることです。これらは体内のミネラルバランスを崩す元になります。
・労働と休養の時間が正しく配分されている
 自然の生活リズムを無視すると、免疫力が低下することが分かっています。
・適度の運動と適度なストレス
 どちらも過度になれば健康を著しく損うものですが、自然環境、社会環境への適応力を身につける上で適度に要求されます。
・毛髪分析を含めた定期的健康チェック
 これによって、より早く体の異常を発見することができます。
(インタビュー構成・功刀)