この人に聞く 41

生命尊重の価値観が健康を生む肉食をやめることから始めなければならない

自然食品店3M 米澤純久さん(80歳)

米澤先生の書評を終えて

 昭和56年5月号から昨年12月号まで10年間にわたって担当して戴いた米澤先生の書評が終わった。
 先生の書評は、常に"健康に生きるにはどんな生き方が基本なるか"に視点が置かれ、単なる健康図書の紹介記事、実用書評とは、一線を画するものであった。
 森下敬一氏の著書『肉食亡国論』らを読了後、"食を度外視して真正に生きるは不可能"と悟った氏は、一夜にして、白米肉食の食事から玄米菜食に切り換え、それ以後二十年、一切れたりとも肉を口にすることがない。
 玄米菜食から得た体験は、自然食の普及へと思いが広がり、爾来、自然食品店松本3Mの経営を中心に、"正しい食"の普及、難病者を含めた健康相談に尽力されている。
 現在、80歳になられる先生は、ライフワークとする御著書の著述に余念がなく、その合間には重病者の健康相談にあたられている。
 店の実際的経営は主に、先生と共に自然食運動を推進してきた夫人に任せられらており、幸子夫人の献身的な協力によって運営されている。開店は昭和53年、今では県内外に安全食品の主旨協賛のチェーン店がある。
 自然食品店というより、本物食品の店と呼ぶに相応しい3Mは、白壁で有名な松本の中町通りに構えられ、掲げられた看板には、大きく「安全食品3M」と書かれている。客の体にあった本物食品しか売らない3Mの姿勢は、広く信頼され、客は県外にまで広がっている。
 松本に立ち寄った際は、是非、覗いて欲しい店である。昔ながらの自然食ファンも、先生ご夫妻と、置かれている本物食品群に、改めて啓発されること請け合いである。
 女鳥羽川のほとり、白壁の立ち並ぶ松本3Mに、書評を終えられた先生を訪ねて、奇特な体験に培われた独自の文明批評、食文化のことなど交々お話しを伺った。

人は食べて 生きている

 心食動によって、生命活動は支えられている。
 その中でも、直接、生命を支えているのは食である。
 食べ物は、自然の恵みから分けて戴いたのが本来であったが、誤った智恵によって、現代では半分、化学製品に変質してしまった。
 これによって、最も安全であるべき食べ物が安全でなくなり、感謝して戴くべき食べ物が飽食、粗略の限りを尽くして食べられるようになってしまった。
 その結果、心食動のハーモニ
ー(バランスではない。バランスは計りに過ぎない)は崩れ、栄養感知能力を喪失し、自分の体が適応するものが美味しいという味覚能力を失い、食べ物を狂った味覚でしか選べなくなってしまったのである。
 これがガンやエイズを生み出した。今、人類は飽食の陰で、病気の不安に脅え、雑多な知識情報をあさって、健康を購おうとしている。
 栄養感知能力を失った今、さて、人はどうしたら本物の食を選べるか。

右周りの波動は 健康を生む

 人によい食べ物でなくては、食といえない。
 食品は、その材料の生命を支えている成分配合に欠けることなく、降り注ぐ宇宙のものと天地のめぐりよって形作られたものであれば、人体に適した波動を持っている。
 化学食品添加物なども有害成分の有無より、先ず、その反自然性故に否定されるべきである。
 人体にとって調和的な波動は、必ず右周り(時計周り)であって、これは求心的な波動といえる。何故、右周りが体に良いかと聞かれても、それは長年にわたる私の調査結果である。
 それは、自然性の高い素材で作られた3E(Energy・Electric Magnetism・Embrem)の考案により、一層、確信を深めていると言い得る。
 この3Eを振り下げて物体の上に垂らして静止させると、3Eは右や左に旋回する。
 活気のあるもの、生命力のあふれるもの、人体に良いものは、必ず右周りに動く。それはまた、大きく勢いよく旋回する程良い。
 人間の生命は、宇宙の気(エネルギー)から生れたといってよいが、その気には波動、リズムがあり、生命の根源である気の波動にあわないものは、人体にあうべくもない。
 自然から離れれば離れるほど、宇宙の根源の気と離れる。自然食が何故良いかは、自然に近いもの程、宇宙天然の気に満ちているからだ。勿論、自然のものでも体に不適なものは沢山あり、毒草などは、3Eは見事に左周りを描く。
 体の各部位も3Eの旋回で、健康か否かの見分けがつく。
 3Eの測定によって、失った栄養感知能力を補うことが出来ると私は思う。

"殺すな"
生命尊重の価値観こそ 健康な人生をもたらす
―肉食の回避―

 結局、"殺す勿れ"に尽きるということ。
 どんな価値観を持とうと健康でなければ全ては虚しく、また個人の価値観は健康を含めて人間のかかえる全ての問題の核心となる。
 そして、"生命の尊重"を価値の根本に据えなければ、健康に生きることは不可能だ。
 "生命"に根本価値を置かない人間の生き方が、何をもたらすか。
 それは、不健康であり、闘争であり、殺戮であり、自然破壊であり、公害、人災、事故であり、殺人的医療であり、不平等であり、傲慢であり、言い換えれば、ありとあらゆる"死"である。
 これらは、"ゴの追究と達成"を価値の根本に据えたことでもたされたと言い得る。
肉食(殺し)しながら健康、
平和を得るのは不可能であり、反対に、生命に価値を置けば肉食(殺し)は不可能となる|
 このことを、誤った価値観に基づいた文明の歪みが一挙に表面化してきた今こそ、真剣に考えて欲しい。そして、一人一人が、自己の価値観を真剣に問い直して欲しい。

墨子、ガンディー に学ぶ
殺しをやめるところから 始めなければならない

 "知識はわれわれの運命である"(C・セーガン)
 "無知にて犯す罪は、知って犯す罪より重い"(仏陀)
 価値観の問い直しには、古来から現代までの人間の叡知を尋ねることが急務ではないか。私の書評は、こうして始まった。
 80年の紆余曲折の人生(神童と呼ばれた少年時代、東大時代に罹病で始めて味わった挫折、卒業、会社の重鎮として活躍、戦争、愛妻の鉄道事故死、帰郷、二度目の結婚、夫婦ともどもの自然食運動)で達した結論は、図らずも、古くは中国の墨子(前5C前半)、現代ではガンディーの思想と同じくしたのは感慨深い。
 健康人を「純粋の人格者」と定義したガンディーは、味覚器官は舌でなく精神だと説き、動物の殺生、肉食を否定した。
 弱肉強食の分裂紛争の時代に育まれた墨子の思想は、「兼愛(博愛、相愛)」、「非攻(不戦、不殺生)」を柱に他者侵害をめざす自己利益(エゴ)を排撃し、「尚賢(徳と賢の能力に応じて官に登用する)」をもって平等を説き、「天志(神の意志)」をもって総括した。
 この二人の最も偉大なところは、その偉大な思想の実践にある。最良の知識を実践するところに偉大な変革が生れ、それこそが使命ではないか。
 健康、平和の確立に、最初になされるべき実践は、"肉食の放棄"であり、「不殺生」を成し遂げた時、人は変貌を遂げる。
 殺すことをやめるところから、始めなければならない。疾く。

米澤先生よりの加筆

 自然食ニュース記者功刀さんによるインタビュー原稿、校正刷FAXを拝見。今日中に印刷に廻さなくてはという。
 今回、お逢いして始めて知ったのは、私たちは四百余年前、武田信玄の子勝頼が滅亡し、同県、同郷、同村、同部落の甲信(山梨、長野)国境"信濃境"に落着した清和源氏の子孫であることだった。四百年間には両家の縁組もあったろう。功刀さんは姪ということになろうか。
 四百年を超えたこの会偶は、珍しくも懐かしいといってよいだろう。肝心のインタビューはどこかへいってしまい、好き勝手なお喋りになって、その聴き書きは困難だったろう。
 夏にはまた先祖の故郷に帰って来られるだろう。その節は、もう少ししっかりした内容になるよう配慮した会話にしたいと考える。
 ご苦労様でした。
インタビューを終えて
 先生のお話は食に始まって、書物の話、古今の聖者賢人、政治、文化と深夜に及び、改めてその慧眼による洞察力の深さに感嘆。啓発されること多大であった。
 合間には幸子夫人の美味しいおもてなしにも預り、本物の味とはこういうものか、目から鱗が落ちるとはこのことかと教えられた。数有る東京の自然食レストランでは決して味わえない御馳走であった。
 読者の皆様も、是非松本の3Mを訪れ、食への理解をより深めて欲しいと願う。
3M 松本市中央3―4―19
(インタビュー構成・功刀)