この人に聞く 24

"いさぎよさ"を慕い続けて 肥田春充先生あってこそ我人生有り

肥田式強健術指導者 荒波 宇吉さん

(明治三五年十二月三十日生)

正中心道肥田式強健術と創始者・肥田春充

 肥田春充(一八八三〜一九五六)によって創始された肥田式強健術は、正中心と名付けられた臍下丹田を、独自の運動によって、活性化することによってあらゆる能力を開発しうるものであるとされる。
 今回登場願った荒波氏が、生涯唯一の師と仰ぐ肥田春充は、この自ら創始した運動法によって病弱の身を克服、遂には近代日本が生んだ稀にみる大天才といわれるほどの人知を越えた能力を発揮するようになった。
 肥田春充は生来病弱で、体格体質は共に虚弱、結果、精神も軟弱で、幼少時代一年の大半は病の床につき、命を見放されたことも度々であったという。
 しかし、その虚弱な身心の裡には純粋・熱血の精神を秘め、少年期に至っては自己の無益なる後人生を憂え、憂愁煩悶の後、十八才にして遂に奮起、心身の根本的改造を志すに至った。
 生理学、解剖学、運動法、内外五百数十冊の健康に関する本を精読・研究の結果、独自の身心強健の運動法を編み、病弱の身ながらひたすら精進してわずか二年程で自らの身体を強健に造り変える。その運動法は、西洋の運動(体操、格闘技等)に日本古来の武術を組み合せ、臍下丹田を合理的に鍛えるというものであった。
 以後も研究を怠ることなく、更には大正十二年「腰を反り、脊椎を垂直に立てたまま、脚力を利用して重心を落とす」という姿勢によって腰と腹の中心に同量の力を収め得、それによって物質的な力を越える肉体と宇宙の力が合一した円満無限の「正中心力」を会得。以後、肉体と精神共に想像を絶する能力を発揮するようになった。
 肥田春充は、鍛練についてこう語っている。
 身体の中心と脳髄の中心とをひとつに貫いて鍛練すれば、最小の場所、最小の時間、最小の回数、最小の期間で、無費用、無機械、無条件で、最大の効果、最大の体力、最大の気力が得られる
 願わずして未来を見通す能力を得た肥田春充は、晩年、慨世憂国のあまり食欲不振におちいり、昭和三一年、四十九日間の水をも断つ完全断食によって帰命した。

強健術を学び始めたのは、健康法がブームだった大正期

 私が強健術に出会ったのは大正六年、十五才の年です。先生の「強い身体を造る法」を読んで強く感銘を受け、いろいろ当って東京のある病院が強健術の道場に一室を開放しているのを知り、そこに通って強健術を学び始めました。
 その当時は健康法のブームで世間では「岡田式静座法」、二木博士の「玄米菜食法」、藤田霊斎の「調和道」などが盛んにもてはやされており、私も小学校の頃までは丈夫だったのが、上級に行くようになって三度大病したのがきっかけで、健康法の本をあれこれ読み漁っていました。その数多く読んだ健康法の本の中で肥田先生の『強い身体を造る法』は、全頁の半分は随筆というものでしたが、健康への合理的でありながら底の深い考えと、人生に対する真摯な姿勢とが真っ直ぐ貫かれており、最も強く魅かれたのです。

いさぎよい人・肥田春充先生とのふれあいで学んだこと

 先生のどこに魅かれたか、それを一言で云ったら、「潔い」ということに尽きます。
 「高潔清廉」という言葉は、先生を存じ上げる人が先生を評する時に必ず口にしますが、強い肉体、潔い心、潔い生き方…と、ほんとうに、先生は稀にみる潔い方でありました。先生ほど潔い人には、これから何度生まれることがあっても、出会うことは難しいでしょう。
 『強い身体を造る法』にも、その「いさぎよさ」は漲っており、強健術の合理的な方法と共に、その筆のしずくから読み取れる先生の至誠・至純のお人柄に深く傾倒したまま今日に至っているのです。
 先生に直接お会いしたのは大正十年、その頃既に先生は、強
健術は人に教えるべきものではないと、指導を辞めておられました。しかしどうしてもお会いしたく、同好の友人二人と伊豆の御自宅を訪門、お話しは殆どなかったのですが、せっかく訪ねて来たのだからと強健術を披露して下さいました。
 その後、その友人がたまたま先生の個人指導を受けることができ、それがとても羨ましく、私も是非にと個人指導を乞うお手紙を出しました。しかし先生からは「弟子は取らないから」と断りのお手紙を戴き、それならと、一人でやりぬこうと決心したのです。
 ところが、温かいお心の先生は、後で気の毒に思われたのでしょう。その後「個人指導を許す」というお手紙を下さいました。それが大正十一年のことで、以後、ちょくちょく伊豆にお伺いすることになったのです。
 そうですねー、一番心に残っている教えと言ったら、戦争が始まって昭和十三年、私が朝鮮に行くことになってお別れの挨拶に参った時のことです。テーブルをへだてて座っていらした先生が、いきなりスクッとお立ちになり、眼光鋭く「君がいかにあがき苦しもうとも、心身強健はこれあるのみ」と、強健術の下体の型をなさったのです。その時、その型をなさった―そのことがとても心に残って、今に生きている最大の教えとなっています。

強健の秘訣の三大要件、安静と真食養と正中心鍛練

 先生は安静と真食養と運動による正中心鍛練の三大要件を強健の秘訣としており、この鉄則を自らの肉体と精神を以って実証なさったのです。
 その中でも重んじられたのは心身の安静で、「精神的安静を破った時は他の要件が如何に完備されても一切が破壊される」と、
―「心身安静」、これこそは天から与えられた最上、安全にして、且つ簡単平易なる治癒方法である。心身共に安静なる時に於て人体本来の治癒能力は働く―
とお説きになっています。
 真食養とは玄米菜食。鍛えに鍛えて真健康を獲得するに従って、先生の食物の嗜好は自然と淡白になり、生煮えの野菜の味噌汁、麦飯などが一番美味しいと感ずるようになったのです。晩年は、食べものも、自然な状態が最もよいと、生玄米を食べておられました。
 私も玄米歴は三十年で、玄米だけは、ずっと自分で炊いております。美食と強健はとても成り立つものではありません。

先生は私の人生の全て

 肥田先生は私の人生の全てです。
 先生とのご縁を深く考えみるに、何に限らず人生に於て大事なのは良い縁を生かすことだと思い至ります。良い縁に出会ってもそれを生かさなくてはなんにもなりません。
 強健術にしても、それをやりきる人は極めて少数です。心の真奥でふれ合うものでなければ何事も、やり遂げることはできないのでしょう。私が八十七才の今日まで肥田式強健術を続けて来れたのも、何より先生のお人柄に魅かれ続けていたからで、肉体の強健だけを目的にしていたのでは、ここまで続くことはなかった…。
 日常の体の鍛練は、朝と晩、就寝時と起床時の腹式・胸式呼吸、鉄棒を使った中心鍛練、タワシによる皮膚の摩擦と、一日十分程度のものですが、ずーっと続いています。
 迷ったり邪心が起きる時は、中心を鍛えるのを怠けている時です。反対に怠けている時に中心(腰腹)を鍛えると精神がシャンとします。肥田式強健術を実行して得た実利的な面は、健康でいられる(今でも明るい所では活字を見るのに眼鏡を使わない)、頭がいつまでもしっかりしていることなどは勿論ですが、精神が挫けるということがなくなったことが、何より一番でしょうね。
 (インタビュー構成・功刀)
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 荒波さんは昭和四十年より肥田式強健術を指導し続けてこられ、八十七才の現在も逗子の自宅から東京大塚の道場へ、毎日曜出向いておられる。
肥田式強健術への問い合せ
〒112 東京都文京区千石
3―19―2 学生修道院
(JR山手線大塚駅南口より
徒歩15分)
・03―941―0629